つぶやきしーちゃん

2006年05月

赴任してすぐ
まだ右も左もわからないうちにお茶会に誘われた。
私の「歓迎会」だと言う。

そしてその歓迎会当日
私はいきなりドイツへ来たことを後悔した。
メンバーは息子と同学年の奥さんたちだったが
とにかく圧倒された。
それぞれがきれいにオシャレをして
何かしらその家に「手土産」を持って来る。

その家の主はケーキを焼き
当然!ブランドのコーヒーカップでお茶が出てくる。
「このカップ、どこの?素敵~!」
と言って、底に書いてあるブランド名を確認。
「え~!○○○なの。いいわねぇ~」
続いてケーキが出てくる。何種類も・・・。
「美味し~い!!よかったらレシピ教えてほしいな」
それからはケーキのレシピに始まり、料理の話、噂話・・・。
私には全く興味がない話が延々と続くのである。
ケーキが終わると、続いて出てくるのは和菓子だ。
当然、飲み物も日本茶に変わる。

興味のない会話に、しらじらしい言葉遣い。
・・・みんなそれぞれに気取っていて、私のガラではない。
何とも場違いなところに来てしまった気がして
私はただただ居心地が悪かった。

とりあえずニコニコと、話を聞いてるふりをしたけれど
帰る道々、憂うつで仕方ない私だった。

新潟の友だちが出てきたので
再び日光温泉メンバーで集合。
卒業してから1度も訪れていない母校を見に行こう!
ということになった。
私は「伊東温泉」の帰り。
身も心もすっかり癒され
自分で言うのも何だがパワフルである。
お天気までもが、最強の雨人間たちと別れたせいか
回復してきた。

スタートは「代官山」の駅。
さすがに、30年近く昔の面影はほとんど残っていない。
あの頃、駅の横にあったパン屋はなくなり
どっちを見ても人だらけ!店だらけ!!
少々ガッカリしながらも学校まで歩いた。
ところが当時は何もなかった通学路にもお店が進出!
車が通らないため普通に道の真ん中を歩いていたのに
今では人も多く車も次から次に走り抜けている。

学校を見るなりさらにガッカリした。
すっかり改修され校門は移動。
体育館も校舎も全く違う配置となり
グランドも向きを変え、すっかりきれいになっていた。
聞くところによると制服も「かわゆく」なっているらしい。
寂しさを感じつつも、せっかく来たので
校門前でピースサインとともに記念撮影をした。

学校から「渋谷」の駅までは毎日通った道。
道路わきの家は新しくはなっていてもやっぱり懐かしく
感激しながら歩いた。
ただ、帰りに必ず寄り道をしたお店はなくなっていた。
聞いてはいたけれど、これもガッカリした。

3回ガッカリした私は
ヨーロッパの「3大ガッカリ」を思い出した。
「ドイツのローレライの岩」
「ブリュッセルの小便小僧」
「コペンハーゲンの人魚の像」
・・・確かにどれもガッカリしたっけ。

凹んでいても仕方ないので気を取り直し渋谷でお茶にした。
ケーキセットを3つ頼み、またしても新潟の彼女が
「フロマージュブラン」「抹茶のロールケーキ」を全部と
「レアチーズケーキ」を1/3、ペロリとたいらげた。
温泉に行かなくてもパワフルな彼女である。

そんな彼女の携帯からは、前回日光で買ってつけた
「願い事の叶う幸運を呼ぶ鈴」の姿が消えていた。
気づいたら、ヒモだけを残し無くなっていたのだそうだ。

どうやら幸運は彼女から逃げていった・・・らしい。

伊東温泉に出かけた。
今回も気の合う仲間と一緒の「踊り子号」の旅である。

伊東の天気は雨。
残念ながら見事に天気予報が的中したわけだが
驚いたのはそのタイミングである。
伊東駅に着きそこで待ち合わせていた友人と
無事に合流した途端に
スコールのような土砂降りになったのだ。
それもハンパではない。
傘も何もまったく役には立たないだろう降りだ。
これには駅にいた誰もが目を丸くした。
客待ちのタクシーの運転手が横で言った。
「何だ・・・急にすごい降りになったなぁ」

理由は明白だ。
私たち全員が集合したことで「雨男」と「雨女」が
出揃ったのである。
つまり「パワーアップ」だ。
こうなるとは多少の「晴れ組」がいても歯も立たない。
惨敗である。

今回の宿は食事も美味しく、お風呂もとても良かった。
雨の中の露天風呂もなかなか趣があって良いものである。
ここのところかなり「お疲れモード」だった私には
ゆっくりでき、最高の癒しの旅になった。

気心の知れた仲間たちとの旅。
私の「元気の素」である。

ある時、教頭先生とゆっくり話す機会があった。
先生は言った。
「こうやって海外で生活し色々なことを感じた教師は
日本に帰りそれを実際に活かしたいと思うのだけれど
それができないのが現実です。
何をやろうとしても反対されてしまうんです」

インターナショナルスクールと日本の学校の違いについて
教頭先生自身もつくづく感じたのだそうだ。
インターでは、例えば「キャンプ」に行く場合
その案内の中に「持ち物」という項目はない。
どんなバッグで参加しようが、下着を何枚持とうが
すべて自由である。
寒いと思えば本人の判断で上着を持って来ればいいのだ。

それに比べ日本では、着替えようが着替えまいが
準備する下着の数まで決められ
バッグまで、リュックだのナップザックだのと規定がある。
さらには前日にはそろって荷物検査をし
1枚1枚にキチンと名前かあるかまで確認するのである。
そして当日持参のお菓子は、金額どころか
種類までもが決められている・・・。
実際、子供が持って行くのを忘れたからといって
宅急便で宿舎に服を送ってくる親もいるのだそうだ。

けれど、日本の現状を変えていくことは簡単ではないようだ。
それぞれの国で暮らし感じたことを、帰国した教師が声にし
提案したところで全く取り上げてもらえないらしい。
その根底には海外駐在教師に対するねたみがあるそうだ。
「ちょっと外国で暮らしたからって何~?」
と露骨に言われることもあると言う。
教師社会にもやっぱり色々とあるようである。

幸か不幸か・・・。
息子は来週から1ヶ月間、教育実習に入る。

ドイツの犬はやたら吠えない。
子犬の頃のしつけをキチンとしているからだ。

近所の日本人が飼っていた犬は
とにかく行儀の悪い犬だった。
ところかまわず、やたらめったら吠えるのだ。
飼い主は犬を「しつける学校」に入れるよう
隣のドイツ人に言われた。
ドイツにはそうした場所がちゃんとあるらしい。
結局、彼女はそれから毎日自分の犬を車に乗せ
その学校へ通っていた。

「子供と犬のしつけはドイツ人にさせろ」というそうだ。
それだけしっかりしているということなのだろう。
ただ、お国が違うと「しつけ」も違うようだ。

ある時日本人の親が子供を叱り、よくあるように
「外に出てなさい!」と追い出した。
当然のことながら、子供は玄関の前で泣きわめいた。
すると、近所のドイツ人は警察を呼んだ。
虐待なのだそうだ・・・。

現在、私の周りには
ドイツ人にしつけをお願いしたい大人がたくさんいる・・・。

外国にいると日本の友人から買い物を頼まれることがある。
私たちが駐在している当時「ココア」が流行っていた。

ある時、友人に頼まれた。
「パリの『ホテル○○』の隣の
『○○』というお店で売ってるココアを買って来て」
日本ではそこのココアが話題になっていたらしい・・・。
これにはパリに出張の多かった旦那も驚いた。
そこにそんなお店あることも
その店のココアが人気だということも
全く聞いたことがなかったのである。
そして次の出張の時その店へ行き頼まれたココアを買った。
我が家にも1つ買って来たが何がいいのだろう・・・。
まったく「フツー」のココアだった。

同じ頃、旦那の同期がオランダに駐在していた。
一時帰国が近かったので
日本の友人にお土産は何がいいか訊ねたところ
「バンホーテンココア」と言われたらしい。
そんなに話題になっているなら、全部ココアにしよう!
と考えた彼は、大きなスーパーへ買い出しに行った。
そして「バンホーテンココア」をケース単位で購入。
カートに積み上げてレジに並ぶと
レジ係のオランダ人男性が感激しながら言った。
「そんなにココアが好きかぁ・・・」

彼はきっと、日本人はみんなココアが大好き!と
思っているに違いない。

ここでは奥さんの立場も旦那の立場に順ずる。
旦那が平社員なら奥さんの立場も1番下だ。
当然、部長の奥さんともなると偉い。

大きな会社になれば駐在員もたくさんいる。
人の入れ替わりも頻繁にあり、そのたびに
奥さんだけの「送別会」「歓迎会」が開かれることになる。
幹事は暗黙の了解のうちに「持ち回り」となっていて
お店の選択から予約までをやることになる。
モチロン、最終的な決定は1番「偉い」奥さんに
確認を取ってからでなければできない。
友人が言っていた。
「お店はそうそうないし、とっても気を使って大変だよ」

ちょうど私たちが赴任する少し前から
岩崎宏美も駐在員夫人としてデュッセルにいた。
私はもしかしたら会えるのではないかと楽しみにしていた。
けれど、入れ違いに彼女は1人先に帰国してしまっていた。
1ヶ月もいなかったらしい。

聞いたところによると、同じ会社の奥さんたちが
ドイツでの暮らしについて一通り教えてあげた後
「わからないことはいつでも聞いて」と
あえて関わらないようにしていたらしい。
それは当時、元芸能人であった彼女に対する思いやりであり
あまり手取り足取り教えるのも逆に気を使うだろう・・・
との気持ちからだったのだが、それを彼女は
「放っておかれた。冷たくされた」ととったらしい。
だが、真実はわからない。
何せここは、元気な私も「手術したことにさせられてしまう」
恐るべしデュッセルなのだ。

幸い、私の会社は駐在員が1人だった。
そのため「そういった方面の」面倒臭い付き合いはなかった。
他の方面は・・・追って書くことにする。

「エッグアート」の特別講習会があった。
講師はアメリカ人のおばあちゃまが2人。
この日のためにわざわざ来日してくれた。

私の先生が何かのついでに話していたのだろう。
「キティキャッツを見せて」ということになった。
私がバッグから携帯を巾着ごと取り出し見せると
2人は目をまん丸にして歓声を上げた。
予想以上の多さだったのだろう。
そして携帯を手に取るなり「重い~!」と言って
電話をかけるふりをして身体のバランスをくずしていた。
なかなかユーモアのあるおばあちゃまである。
私は説明した。携帯よりずっと重いのだと・・・。

2人はキティの根付をとても気に入ったようで
中でも「青森の大間まぐろキティ」と
「佐賀の有明ムツゴロウキティ」
新しく仲間入りした「熊本のおてもやんキティ」を
とてもかわいいと絶賛していた。
どこで買うのか、どこでも買えるのか
特別なお店にしかないのか・・・。
これらは別々の場所で買ったのか、まだ集めるのか・・・。
興味は尽きないようで、私は質問攻めにあった。

結局、帰国前に行くことになっている浅草で
「浅草キティ」を8才と14才のお孫さんのお土産に
買うことにしたそうだ。
きっとお土産を渡すときに、私の話が出るに違いない・・・。
日本では、大人がこんなものを集めてるのよと。

ドイツでは、家の手入れはキチンとしなければいけない。
庭が芝生ならマメに刈らなくてはならないし
玄関に花壇があるなら常にきれいにしておく必要がある。
決められているわけではないが窓にはいつも花を飾る。

だから私は定期的に玄関前の草木の手入れをした。
伸びた枝を切り、雑草を抜いた。
でも、それだけでは十分ではなかったようだ。
ある時ちょうど隣のご主人が通りかかり
「この枝も切った方がいいよ」と言った。
残念ながら私には届かない高さだったので考えていたら
ハサミを持ってきて切ってくれた。
さぞかし気になっていたのだろう。
ご主人はついでに他の部分も上手に剪定し
満足そうに帰って行った。

そう言えば私の友人も、あまり気にしていなかったのに
「草刈った方がいいよ」
と近所の奥さんに指摘されたそうだ。

雪が積もった時には
家の前の歩道の雪かきをしなければならない。
もしそこで通行人が転び怪我をした場合は
その家主の責任になるからだ。
だから何度か私も雪かきをした。

今、我が家の花壇はほったらかしだ。
家の前の雪かきも、まずしない。
・・・ここは日本なのだ。
隣の人に注意されることはない。
ただ「かまわない家」と思われるだけだ。

ドイツには「アウトバーン」という嬉しい道路がある。
日本で言う高速道路だが、どこまで行っても無料で
しかも速度は無制限だ。
いざという時には滑走路として使えるように
つなぎ目もなく舗装され、戦車も走れるようにと
道幅も広く作られている。

初めの頃こそ140キロも出そうものなら
「スピード出し過ぎ!」
と注意していた私だったが、すぐに慣れてしまい
まもなく快適速度は160キロとなった。
もはや100キロ程度で走る車は車ではない。

しかし驚くべきは、160キロで走っても
「真ん中の車線」だということだ。
「追い越し車線」を走り抜けて行くポルシェやベンツは
ゆうに200キロを超えている。
そう言えば、アウトバーンを走っていた友人が
後ろから来たポリツァイ(警察)に止められ
「最低130キロは出すように」
と注意されたと言っていた。

実際、あちらの車はとてもしっかり作られている。
友人の知り合いがアウトバーンで事故った。
車は3回転し、ボコボコになったが
その中から運転手はタバコを片手に出てきたそうだ。
恐るべし「ベンツ」である。

しかし調子に乗ってはいけない。
アウトバーンでも速度制限している区間がある。
我が家にも、ある時「速度超過」ということで
証拠の写真と手紙が送られてきたことがあった。
ところが運転している夫の顔はバッチリ写っていたが
助手席の私の顔がない。
この写真が原因でもめごとにならないようにということで
しっかり切り取ってあったのだ。

アウトバーンは快適だ。
しかし免停には気をつけなければいけない。
日本と同じである。

デュッセルドルフには日本の「幼稚園」「小学校」
それに「中学校」がある。
「高校」はないため、日本の高校へ通わせたければ
ドイツの中やイギリスにある私立へ行かせるか
先に帰国させるしかない。
インターナショナルスクールへ編入させる方法もあるが
実際、高校からの編入では
かなり英語で苦労することになる。

私たちがいた頃は「小学校」と「中学校」の校舎は
少し離れた別々の場所にあったが
その後日本人が減ったために子供の数も減り
現在は「小学校」と「中学校」が
一緒の校舎になっているはずだ。

先生方は3年任期で赴任して来る。
日本では自分の子供がいる学校で親が先生をやることは
絶対にないだろうが、ここではやむなくそうなる。
どちらもやりにくいだろうが仕方がない。
校長先生は兼任で「小学校」と「中学校」の校長となる。
そして言うまでもなく、先生の奥さんだって習い事をし
子供の母親と友達になるという、ややこしいことになる。

日本人学校では「ドイツ語」の授業がある。
中1の1学期だけ日本人学校に通った娘は
同時にスタートした「英語」と「ドイツ語」に
てこずっていた。
どちらも同じアルファベットを使い
かたや「エービーシー」、かたや「アーベーツェー」
なのだから無理もない。
「おはようございますって、グーテンモーニングだよね」
と言った娘の言葉に思わず絶句・・・。
・・・英語の「グッドモーニング」と
ドイツ語の「グーテンモルゲン」が完全に混ざっている・・・。
さすがにかわいそうになった。

けれど帰国子女は有利だ。
タイミングよく大学入学時に帰れば
東大をはじめ有名な大学に苦労することなく入れる。
英語が話せなくても、日本人学校出身でも
外国で暮らした事実があればいいのである。

残念ながら、我が家の子供たちは中途半端な時期の帰国で
どちらも東大には入れなかった。
けれど、友だちはみな有名大学にいる。

仕事の関係で、会社には健康に関するものがたくさんある。
わけのわからない健康器具も時には持ち込まれる。
昨日もそうだった。

まず、指先から血液をほんの少し採取する。
顕微鏡を通して血液の状態を確認する。
たいていの人はドロドロとダマになっていて流れが悪い。
そこで登場するのが今回の「ヘッドギア」だ。
と言ってもオウム真理教のものを想像してはいけない。
どちらかと言うとヘアーバンドに近く
赤と黒の2色があってカワイイ感じだ。
それを装着して20分もすると・・・あ~ら不思議!!
再び採取した血液はすっかりサラサラ!
きれいに流れている。
事務所の全員が試させられ、例外なく実証した。

実はその中で、私の血液は1番きれいだった。
たくさんの血液を見ている担当者が
ほめてくれたのだから本当らしい。
器具を付けなくてもいいくらいの状態なのだそうだ。
しかし周りのみんながつけてるのに、私だけないのは寂しい。
だから一応、私も赤いのをつけてみた。

けれど、これで安心してはいけない。
せっかく器具のおかげできれいになった血液も
PCや携帯を触った途端、ドロドロに戻るのだ。
・・・意味がない。

ドイツでは夏になると極端に日が長くなり
夜は10時になってもまだ明るい。
これがなかなか面倒である。

夕飯を食べる。
太陽は真上から照りつけ
「これって昼ごはん?」という気分。
9時になると子供はベッドに入ったが
「眠れな~い!」とベッドの上をゴロゴロ・・・。
そりゃそうだろう。
西日がまぶしいんだから無理もない。
ほとんどお昼寝感覚である。
外を見ると、明るいのに人が誰も歩いていない。
何とも不思議な光景だ。

これが冬になったらなったで、また厄介だ。
朝は9時になってようやく明るくなる。
私は、真っ暗な中でお弁当を作る。
夜中に作っている気がしてとってもむなしい・・・。
そして空を見上げ、またたく星を見つけて
「今日もお天気みたいだよ」と子供を起こすのだ。
夕飯気分で朝食をとり、真っ暗な中子供は登校する。
だから子供がランドセル代わりに背負っている
現地のカバンにはちゃんと「反射板」が付いている。

夕方は4時で真っ暗だ。
それから出かける息子のサッカーの練習は
当然照明をつけたグランドで行う。

暗い中を出かけ、暗い中帰宅する。
確かに気がめいるドイツの冬である。

いつ頃、誰が作ったのか・・・誰が歌っているのかもわからない。
現地で働いている日本人の友人が持っていたカセットテープ。
その中に「インマーマン通り」の歌が4曲入っていた。

タイトルさえわからないのだが「Jポップス調」「軍歌調」
「演歌調」「童謡調」とそれぞれになかなかのできばえである。
デュッセルに6,000人の日本人がいた頃のもののようだ。
聴かせてあげられないのは本当に残念だが
歌詞だけでも紹介したいと思う。
現地で暮らす日本人駐在員たちの姿が
よく分かっていただけるのではないだろうか。


  夢にまで見た ベンツのカンパニーカー
  オーバーカッセル背にして ライン河渡る
  助手席の妻 すっかり勘違い
  よそ行きの服をまとって ただの買出しに
  ベンツの扉が開き 湧き出るのは日本語だけ
  お辞儀をしなくちゃ だってみんな知ってる顔
  ここはどこの国 わからなくなる街
  すばらしい ここはインマーマンシュトラッセ

  日本の冬は 厚手の靴下
  その上につっかけ履いてた 地味なおばさんも
  ここではざぁます 言葉が板につき
  ただのガキもお坊ちゃまに変わる 魔力がある街
  旦那は旦那で ドイツを抜け出しては
  オランダあたりで ゴルフクラブ振り回して
  子供は日本人学校 育てばインターナショナル
  すばらしい ここはインマーマンシュトラッセ

  土曜日はインマーマン
  だってドイツ語やなのよ
  雨の日もインマーマン
  だって和食食べたい
  風の日もインマーマン
  だって買い物多いの
  土曜日はインマーマン シュトラッセがお決まり

   「あ~ら!奥様。すっかり日焼けなされて
    どちらに行かれましたの?」
   「あらわかります?日本におりました頃から
    毎年行っていたものですから
    今年もハワイなんですのよ。
    イヤですわね~。習慣て・・・」
   「あら、よろしいじゃないですの。
    私どもなど同じヨーロッパ内のギリシャですもの。
    リッチでうらやましいですわ。オホホ・・・」

  年に2回は 三越の前に
  長い行列作って バーゲンの初日
  争う姿 この時ばかりは
  持ち前の根性むき出し 肩ひじを張らず
   (以下サビの繰り返し)


「オーバーカッセル」とは日本人の多く住む地域のことで
そこからライン河を渡ると街に入る。
旦那が休みの土曜日は、こうしてインマーマン通りに
日本食を買い出しに行くのが「お決まり」なのである。
また、デュッセルはオランダやベルギーにも近く
旦那のゴルフはオランダで・・・ということが多いのだ。

他の3曲もそれぞれに楽しいものなので
また機会があれば追って紹介したいと思う。

今年も母の日がやってきた。

娘からは「ブリザーブドフラワー」が宅急便で届き
夜遅く帰宅した息子からは
「カーネーションのプードル」(造花)をもらった。

イメージ 1

子供が小さかった頃、母の日のプレゼントと言えば
手作りの「肩たたき券」だった。
先日、息子作った券の未使用分を偶然発見した。
しかもただの肩たたき券ではない。
「すーぱーかたたたきけん」と書いてある。
そう言えば最近肩こりがひどいが
「すーぱー」なら、かなり効きそうだ。
しかし息子は言った。「え~!もう時効だよ」

期限は書いていない・・・サギである。

ドイツでは路面電車が走っている。
停留所は場所によっては道路の真ん中にあり
その乗り降りには注意が必要だ。

ある時、日本人の子供が電車から降りて
そのまま道路を横切ったため車にはねられる事故があった。
私たちが赴任する前の話であり、また聞きであるため
ハッキリとは記憶していないが子供は亡くなったと聞いた。

悲しみにくれる子供の親に対して
しばらくのち、車を運転していたドイツ人から
「慰謝料」の請求があったのだそうだ。
「あなたの子供が飛び出してきたおかげで
私は多大な精神的苦痛を受け眠れない日々を過ごしている」
というような内容だったらしい・・・。

しかし、その後さらに驚くことがあった。
ある日本人が、子供と同じ幼稚園に通う
ドイツ人母子を家に招待した。
子供たちは喜んで家中を走り回り
その時にドイツ人の子供が飾ってあった置物を壊した。
それはとても高価なものだったので日本人母はあわてた。
するとその男の子は言った。
「僕は悪くない。こんなところに置いてあるのが悪いんだ」
それを聞いていたドイツ人母は言った。
「よく言った。偉いわ。その通りよ。置いておく方が悪いわ」
・・・日本人母は絶句した。
結局、お詫びの言葉も弁償もなかったそうだ・・・。

子供が走り回ることが予想される場所に
壊れて困るものを置いた方に責任があると考える。
やっぱりここはドイツなんだな・・・と
感じさせられた出来事だった。

中学時代の親友のお母様が亡くなり
友人2人とともに葬儀に出席することになった。

私たちは新宿のデパートの前で待ち合わせた。
全員そろったところで
「私まだこれ書き終わってないの」
と、1人が香典袋とペンを出した。
「ここって普通に『五〇〇〇円』て書けばいいの?」
「難しい文字で書くんだよ。伍阡圓」
「どっか、台のあるとこで書いた方がいいよ」
すると、すぐとなりで手すりに寄りかかり
やはり待ち合わせらしいおじさんが
手すりをたたいて「ここを使いな!」とばかりに指差した。
「すいませ~ん」
と、彼女はそこを使って金額を書き始めた。
「最後に『なり』もつけたほうがいいよ」
私は声をかけた。

そして彼女は書き終えた。
「伍阡圓他」

・・・さすが私の友人である。

ドイツに住んでいても食事はやっぱり日本食だ。
街には日本食を扱うスーパーが2軒あり
近所にも日本食を置いているお店があったので
たいていの物はそろった。
・・・ただし、賞味期限を気にしなければ。
調味料だって何だって、賞味期限内のものはあまりない。
味噌は期限切れのため真っ黒。
それでも当然のように売っているし高い。
どれも日本の値段の3倍はする。

だから納豆は自分たちで作る。
豆を買い発酵させるのである。
もっとも、私はそこまでマメではなく
もっぱら友達の作ったものを分けてもらっていたけれど。

日本にいたらやらないだろうケーキも自分で焼いた。
ドイツのケーキはやたら大きく甘ったるいだけだ。
美味しいケーキを食べたければ
これも自分たちで作るしかない。
ちなみに私は「ショートケーキ」が得意だったが
「チーズケーキ」もよく焼いた。

焼き魚はしてはいけない。
あの臭いがドイツ人には我慢できないらしい。
だから魚は「煮る」か「揚げる」か
フライパンを使って料理した。
それでもどうしても焼き魚が食べたい時は
日本から「ロースター」を持って来た友だちに頼み
何度か借りた記憶がある。

お米は「スペイン米」で「みのり」という名前だった。
初めて食べた時はパサパサしていてガッカリしたが
慣れとは恐ろしいもので
そんなお米でもすぐに美味しく感じるようになった。
そしてそのお米で私は毎日子供たちのお弁当を作った。
当然だが日本にある「温めるだけ」「チンするだけ」
「焼くだけ」の便利なおかずは一切ないので
あるもので工夫しセッセと1から作るしかない。
今振り返っても、私の人生の中で
1番しっかりと料理をした瞬間だろう。

今でも思い出したように子供たちは言う。
「ドイツではあれも作ってくれた」
「あのケーキも焼いてくれた」「また食べたいな☆」

・・・でももうやらない。
ここは日本で何でもある。

「せっかくドイツにいるんだから
1度は本場のオペラってものを観に行こう!」
ある時、友だちが言い出した。
話はすぐに決まり、仲良しの友だち夫婦3組で
街のオペラハウスへ行くことになった。
子供たちを集めて留守番させ
私たちはそれなりにドレスアップして出かけた。

いよいよ幕が開き「セビリアの理髪師」が始まった。
当たり前だが舞台はイタリア語だった。
そして、舞台の横にはドイツ語の字幕が出ていた。
私は忙しかった。
舞台を見つつ、ドイツ語を読みつつ、日本語に訳しつつ
また舞台を見る。
わからない単語を「何ていう意味だっけな」と
考えている時間はない。
場面はドンドン進んでいる。
あっちを見、こっちを見、またあっちを見・・・
同時に頭をフル回転させるのだ。
そして私は目も頭も疲れてしまい眠りに落ちた。
・・・気がつくと1幕が終了し休憩になっていた。

休憩ののち、2幕が始まったのだが
私にはその2幕をちゃんと観たという記憶もない・・・。
イタリア語は完全に子守唄になってしまったようである。

いいのいいの。
大事なのは「ドイツでオペラを観に行った」という事実で
内容じゃないんだから・・・。

実際このオペラのタイトルも定かでなく
この時一緒に行った友達にメールし教えてもらったのだ。

夕飯時に台所の電気がついているのは日本人の家だ。
ドイツ人の夕飯は大抵が火を使わない「カルト エッセン」
(冷たい食事)なので料理をする必要がない。

友人が、ドイツ人の知人宅へ遊びに行った。
ちょうど夕飯時になり「食べて行きなさい」と誘われた。
友人は遠慮した。
すると知人は
「じゃあ、ご主人に持って帰りなさい」と言って
夕飯を持たせてくれた。
友人は断りきれずもらって帰ってきた・・・が
「ハムを数切れとパン」でご主人のおなかが
いっぱいにならなかったことは言うまでもない・・・。

肉売り場に行くと
それはそれはたくさんの種類のハムを売っている。
そしてそれらは1切れ単位で買うことができる。
いろいろな種類のハムをきれ~いに並べてパンを添え
「今日はごちそうよ!」
と言える毎日だったらどんなにいいだろう☆

あ~!ドイツ人に生まれれば良かった・・・。

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