つぶやきしーちゃん

2006年07月

息子が「オーディション」を受けに行ってきた。
大好きなEXILEの
「新ヴォーカリスト募集オーディション」である。

当日、記入済みの応募用紙を持ち
前日にあわてて写した全身とアップの2枚の写真を持ち
彼は出かけて行った。
ちなみに、出がけに測らされた彼の3サイズは
B79、W63、H90。
女性にすれば、なかなかのナイスバディ♪である。

会場に着くと、予想以上にものすごい人だった。
そのため彼は受付時間を書いたメモを渡され
それまで時間を潰すことになった。

3時間後やっと受付を済ませ渡された番号は「14××」!
息子の後には、それでもあと300人程が並んでいた。
しかも会場に入ったものの、中はまだまだ長蛇の列!
ディズニーランドも真っ青なくらい、くねくねと並ばされ
結局審査までには、さらに2時間待たされたそうだ。

ちなみに今回のオーディションの条件は「18歳以上」だけ。
息子の話では、それはそれは幅広い人たちが来ていたそうだ。
「親父」にしか見えないような人から作業着姿の人まで。
それだけに選曲もさまざまで
「上を向いて歩こう」を歌った人もいたらしい・・・。

やっと彼の順番が来た。
さんざん待った挙句、アカペラで歌えるのはたった30秒!
番号札を胸に貼り付け、彼は得意な歌を披露した。
まだまだ歌いたかったが30秒はあっという間だった。
そして審査は終了した。

結果は誰も期待していない。彼自身も・・・。
ただ、EXILEのメンバーを生で見たい!という
不純な動機だったのである。
そして彼は満足した。
やっぱり実物はカッコイイらしい。

私の大好きな色は「ピンク」♪

前にも書いたが、私はその昔DSライトをゲットした。
大汗かいてやっと手に入れたのだが「ブルー」だった。
とりあえずはヴィトンもどきのシールを貼って使っていたが
何と!「ピンク」が発売されることになった。
7月20日のことである。

私はさっそくすでに夏休みに入っている息子と交渉を始めた。
どうしてもピンクが欲しい私は、バイトとして息子に
開店前から並んで買ってきてもらうことを提案したのである。
それと同時に手を尽くし、どこかで予約ができないかと
探してみたが、やはり当日並ぶしか手はないようだった。
結局、息子は8時から10時の開店まで2時間並んで
バイト料3,000円という高給で手を打った。
しかも、1人では退屈なので友だちを連れて行くという・・・。
最終的に、その友だちもバイトとして雇うことで話はついた。
3,000円×2=6,000円・・・。

8時より少し前、息子たちが列の最後尾に並んだ時
すでに前には50人もの人がいた。
1番先頭の人は4時41分から並んでいたそうだ。
恐るべし!「DSライトピンク!!」

結局、予定の時間より早く9時には発売を開始し
無事に息子たちは「DSライトピンク」をゲット!
バイトも完了した。
何と!時給3,000円である。

今、私の「DSライトピンク」は手作りのケースに納まり
幸せな毎日を過ごしている・・・。

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指先が5つに分かれたストッキングがある。
今まで「ありそうでなかった」
ストッキングの常識を破る新商品だ。

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私は素足が嫌いだ。
とにかく冷房に弱く、すぐに芯まで冷えきってしまうため
夏でも「腹巻」が必需品。
ましてや足元を冷やすなんてとんでもない!
・・・だからおばさんと言われようが変だろうが
「サンダルにもストッキング」なのである。

この5本指のストッキングは、ストッキングらしくない。
かなり透明感があるので、限りなく素足に近く見えるのだ。
穿いていないようで、実は穿いている♪
ちょっと得した気分だ。

さっそく私も試してみた。
快適さは予想通りで、1度穿いたらやめられない!
指の間が空いているため、気のせいか涼しい♪
1日とても気分よく過ごせた。
しかも裏には「すべり止め」までついている。

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・・・ただ・・・高い。
このハイソックスタイプの飾りつきが1,800円・・・。
伝線したら泣くしかない・・・。

彼女のロスへの引越しが決まったと聞き
中学時代の仲間たちと共に
再び「厚木基地」へ遊びに行くことになった。
基地ツアー第2弾である。

今回、男子たちの目的は「ゴルフ」。
何と!基地内のゴルフ場でプレーしようというのだ。
かなり大胆な発想であったことは間違いない。
かくして男子たちはゴルフウェアに身を包み
ゴルフバッグを持ち集合した。

とりあえず基地に入り、レストランで食事を済ませると
男子たちはさっそく、彼女のご主人と共にコースへ出た。
さすがに日本人である彼らだけでのプレーは無理らしく
ご主人が一緒に回ってくれることになったのだ。
当日は晴れていたものの、かなり風が強く
ゴルフに適した天気とは言いがたかったが
そんな中を彼らはスタートして行った。

彼女のご主人は背が高く引き締まった身体をしている。
彼女の話によると、ご主人は基地の中を
毎日ジョギングすることはモチロン
時間があればジムに通い身体を鍛えているのだそうだ。
「自分の身体も管理できない人間が
部下を管理できるわけがない」
と、いつも言っているらしい。
“日本の管理職よ!よ~く聞け!!”
実際、体重の増えたデブ兵士は辞めさせられるそうだ。
兵士たるもの、日々健康に注意し
身体を鍛えることが大切なのである。

私たち女子はその間、例によって彼女の家で
お茶を飲みまくりお菓子を食べまくりしゃべりまくった。
夕方になって疲れきった男子たちが戻ってきた。
ご主人のプロ同様のゴルフの腕前にも
十分驚かされたらしいが、それ以上に驚いたのが
他の兵士の彼に対する態度だそうだ。
当然といえば当然なのだが
コースで一緒になった兵士に彼が何か話しかけると
「イエス、サー!!」
という返事がすぐに返ってきたらしい。
一緒にいた彼らは、今さらながら
「すごい人物とゴルフをしている・・・」
と実感したようだ。

楽しい時間は瞬く間に過ぎ去り、帰り道
私はまたまた彼女の家の前で
記念撮影し忘れたことを思い出した。
・・・けれど、もうチャンスはない。

おわり。

そのレストランで私はトイレに行った。
便座が高いのはドイツで経験済みなので驚かなかったが
バッグをかけようとした私は目がテンになった。
ドアの内側についているフックの位置がハンパでなく高い。
小さい私なら、便座に乗らなければ絶対に届かない。
さすが基地サイズである。

その後、基地の中を案内してもらった。
ちょうどキティホークが来ていて、私たちは目の前で
「FA-18ホーネット戦闘爆撃機」を見ることができた。
まさに本物を見ることができるとは
飛行機好きなら泣いて喜ぶところだろう。

基地の中には他にも生活に必要なすべてのものがあった。
スーパー、診療所、マクドナルドからゴルフ場まで・・・。
緑も多く、桜並木は見事だ。
けれど、基地内で写真撮影をすることはできない。
あちこちに「撮影禁止」の看板が掲示されていた。

住居は、やはり階級によってハッキリ分かれていた。
下の階級の人たちは、普通の団地のような集合住宅に住み
その地域もそれぞれ異なった。
また、その一角には自衛隊の人たちの住む地域もあった。

一通りの見学が済むと「座間基地」へ行ってみることにした。
ちょうど何やらお祭りだそうで
これぞまさに「基地ツアー」である。
今度の座間のゲートでは全員が車から降り
身分証明書を見せた上に名簿に記入が必要だった。
何の関係もない日本人が遊びに来たのだから当たり前だろう。

結局、最初の訪問は基地観光に行ったようなものだったが
誰でもできる体験ではない。
持つべきものは「基地に住む友人」である・・・。

ただ、1つだけ心残りがあった。
唯一写真撮影ができる彼女の家の前で
記念撮影をし忘れたのだ・・・悔しい。


・・・まだつづく。

友人のご主人はアメリカの人で
「厚木基地」の中でも、トップに限りなく近い階級だった。
当然、友人は家族そろって「厚木基地」に住んでいた。
去年の夏に、一家はロスに転勤になったが
私はそれまでに2回、基地にある彼女の家に遊びに行った。

最初は、友人3人と訪ねた。
駅まで迎えに来てくれた「基地ナンバー」の
彼女の車に乗りゲートにつくと
まずは銃を持った兵士に「身分証明書」を見せる。
ちゃんと写真のついているものでなくてはならず
全員が「運転免許証を持ってて良かったぁ・・・」と実感した。

彼女の家は、階級の高い人たちが住む地域の一角にあった。
平屋の3LDKだが、それぞれがゆったりで
庭も、ものすご~く広い芝生だった。
そして、部屋のインテリアもとても素敵だった。
彼女自身が「和」のアンティーク家具が好きで
それらの家具に合わせ、着物や帯や扇子を飾り付けている。
それがとても上手で、彼女のセンスの良さを
感じずにはいられない気持ちのよい家だった。
英語が飛び交う家に「和」の香り・・・。
何とも風流である。

私たちは食事に出ることになった。
モチロン、基地の中だ。
ところが、驚いたことに彼女は家に鍵をかけなかった。
そういう習慣はないのだそうだ。
「変な人は絶対入って来られないんだから
どこより安全じゃん!」
・・・なるほど。そりゃそうだ。
ゲートでしっかりチェックされる上に
彼女の住んでいる地域には警備員が巡回している。
確かに、こんなに安全な場所はない。

レストランに着くと、またまた驚いた。
何と!階級の高い人専用の駐車スペースは別になっている。
1番お店の入り口に近い便利な場所である。
それ以外の階級の人は使うことが許されないらしく
他の駐車スペースは混んでいるのにそこだけが空いていた。
・・・彼女は迷わずそこへ駐車した。


・・・つづく。

ドイツでは、時がゆっくり流れていた。
これが日本と同じ24時間だとはとても思えない。
まさに「ゆっくり、静かに・・・」だったのである。

私たちの家の近くには2つの教会があった。
ここで暮らす毎日はとても静かで
聞こえてくるのは教会の鐘の音だけだった。
ここには車の騒音もなく、大きな音を出す宣伝カーもいない。
隣の家のTVの音が気になることもなければ
夜中に大きな声で話しながら歩く人もいない。

だからだろうか。
ドイツの人々は、心にゆとりを持っていると感じる。
車を運転していても
脇道から出る時にすぐに入れてもらえたり
車線変更もスムーズにさせてもらえたり、日本とは大違いだ。
入ろうとするとわざと詰めたりされる意地悪もなく
コセコセ、アセアセしていないのだ。

そんな中で暮らすうち、いつしか私の中にも
ゆとりが生まれたのかもしれない。
初めて「仕事を持たないただの主婦」になり
時間があったことも大きかっただろう。
今まで感じたことのない時の流れを肌で感じることができた。

そんな幸せな生活に慣れてしまった私たちなので
帰国した時に1番気になったのが
「音」であったことは言うまでもない。
昼といい夜といい、日本では絶えず音がする。
さらには最悪なことに帰国して入った社宅は
バス停のすぐ横だった・・・。

結局、私たちは帰国1年半後にまた引っ越すことになった。

髪の毛がクリンクリンだ・・・。
サイコーに気分が悪い・・・。

生まれつき私は「くせっ毛」だ。
梅雨の時季になると、毎日が不快。
湿気を含んだ髪の毛は、まさに「爆発」状態である。
とても毎日を笑顔で過ごせる気分ではない。

けれど、この不愉快さは当事者でなければわからない。
現に隣の席の彼女は
「私なんかお金かけてクリクリさせてるのに
そのままでいいんだからいいなぁ~」
などと言っている・・・。
私のこの気持ちがわかるのは、同じようにこの季節
不快な毎日を送っている娘だけかもしれない・・・。

我慢が限界に達したため
ここ何年かは「縮毛矯正」を続けた。
「ストレートパーマ」よりさらに強いパーマである。
確かにサラサラ髪はなかなか気分の良いものではあったが
さすがに続けるには飽きる。

そんなわけで「縮毛矯正」をやめて3年近くになり
ようやく最近もとの自分の髪に戻ってきたようだ。
けれど間違いなく!私のクセはパワーアップしている。
まさに「リバウンド」である。

今・・・私は毎日が不快だ。
このクリンクリン髪は一昔前の典型的「おばさん髪」である。
・・・誰にも会いたくない・・・。

2年目の秋に、日本人学校のそばに引っ越すことになった。
今度の家は4階建てで、1階には大家さんが住み
私たちは2~4階を使わせてもらった。

その家は大家さんが日本人だったので
4階の屋根裏部屋は琉球畳を入れた「和室」だった。
まさか、ドイツで畳の部屋に出合えるとは
思ってもいなかったのでとても感激した。

地下室からは庭に出ることができた。
夏には頻繁に芝刈りをしなくてはならず
手入れが大変だったが
それでも友人たちを招いてバーベキューもやった。
自分の家でバーベキュー・・・。
もう2度と経験できないだろう思い出だ。

家の前の通りは「八重桜並木」だった。
春になると桜が満開で、それはそれはきれいだった。
その通り沿い、ほんの1区画先に日本人中学があった。
目と鼻の先だったので息子の通学は非常に楽になった。

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娘は相変わらずバスと電車を乗り継いでの通学だったが
今度の「834」の路線バスはキチンと時間通りに来たため
安心して利用できた。
以前使っていた「829」の路線バスは
早く来たり遅れて来たり、日によっては来ないこともあった。
「バスが来ない・・・」
と戻ってくる娘を、慌てて学校まで送ったことも度々だった。
それがなくなっただけでも引越しは成功だったろう。

その家を忘れられなかったわけではない。
けれど、今の我が家は3階建てだ。
しかも、外装がドイツっぽい・・・。

2度目のお風呂に入った時は0時を回っていた。
再び「皮脂汗腺を開く入浴法」を行ったが
新潟の彼女は結局、最後の最後に
額にうっすらと汗をかいただけだった。
しかも、今回も筋肉痛が出始めたらしく
ふくらはぎが痛いの、どこがだるいのと訴えていた。
またしてもあの山くだりごときで筋肉痛とは・・・
彼女の足は間違いなく退化に向かっている。

中目黒の彼女はここのところ睡眠不足だと言っていた。
これでは夜は早寝だろうと思っていたが
結局私が1番早寝だった。
あとの2人はDSライトで盛り上がり
その後は明け方まで話し込んでいたらしい。
5時になって男女のお風呂が入れ替わると
中目黒の彼女はそのまま1人出かけて行った。

朝になって残る私たちもお風呂に入ったが
今度の露天は「岩風呂」で、とてもいい雰囲気だった。
ここのホテルはお風呂も食事もよく
「お客様の満足度」が常に高いのもうなずける。

午後から仕事が入っている中目黒の友人は
私たちより少し早い電車で一足先に帰って行った。
残った私たちは、チェックアウトまでゆっくりし
ホテルの近くにある「ロールケーキ」の美味しいお店へ
お土産を買いに行った。
ここでも新潟の彼女は「ロールケーキ」を3本買い
さらにはホテルの売店で、職場へのお土産の他に
「信玄もち」も忘れずに買っていた。

その上、ホテルからは昨日のお詫びにと
チェックアウトの際に菓子折りをもらったので
彼女の荷物は、パンパンの大きいスポーツバッグと
目いっぱい入った大きめの紙袋の2つになった。

しかし彼女の旅はまだ続く・・・。
新宿で私と別れたあと
大荷物と筋肉痛を抱え新潟まで帰るのだ。
「お疲れさま」以外にかける言葉はない・・・。


・・・完。

何と!会社のすぐ近くに
あの「鞍馬サンド」がオープンした。
関東では最大の店舗だそうで、40坪の店内には
禁煙と喫煙の席がそれぞれ20席ずつくらいあり
外にも8席と、かなりの広さである。

開店当日、出勤前に同僚がさっそく行き
サンドイッチを買って来た。
出社するなり彼女は言った。
「もぉ~!やだぁ!!レジがトロ過ぎ~!」
・・・どうやら2人いる店員はどちらも不慣れらしく
やたら動作が遅かったらしい・・・。
普通だったらオープン当日くらい他店からヘルプが
入りそうなものだが、そうではなかったようだ。
彼女はひと言言いたかったらしいが
「初日だから何も言わずグッと我慢した」のだそうだ。

この「鞍馬サンド」はサンドイッチ屋さんなのだが
なかなかユニークなサンドイッチを売ることで知られている。
「生クリームプリン」「抹茶あずき」「納豆コーヒーゼリー」
「ブルーベリーチーズ」「カステラ」「豆腐ハンバーグ」
「キンピラ」「うなぎ」「鮭のなかおち」「エビチリ」
「キムチ」「あずきアイス」・・・などなど。

そして私は食べた。
噂の「納豆コーヒーゼリーサンドイッチ」!
勇気があるわけではなく、ただの興味本位である。
早く言えば、生クリームに納豆と刻んだコーヒーゼリーが
入っているという代物で、開けてビックリ!
サンドイッチが糸を引いていた・・・。
けれど、私は気に入った。
納豆臭さはまるで感じない。
コーヒーゼリーとのバランスがいいのだろう。
糸を引きながら食べるサンドイッチもなかなかのものである。

さっそく私はもらったメニューに5段階評価を記入した。
「納豆コーヒーゼリー」・・・評価「5」!!

「火が消えてから5分蒸らして下さいね」と
言われた通りに5分待ち、私たちはお釜のフタを開けた。

そして、中のご飯をかき混ぜながらふと気づいた。
私のご飯だけが2人のものより色が薄い。
「ん?何か変じゃない??」
比べてみる・・・。
どちらかと言えば「かなり濃い茶飯」といった感じの
2人のご飯に比べたら、私のご飯はどう見ても
色が薄く「調味料の入れ忘れ」という感じだ。
食べてみる・・・。
私のを食べた2人は声を揃えて
「薄~い!絶対何か忘れてるよ!!」
と言い切った。
「そうかなぁ・・・。混ぜご飯て、こんなもんじゃない?」
と私も意見してみたが、2対1では分が悪い。
それ以上強く主張することはできず引き下がった。

とりあえず担当の人に来てもらい
現物を見せて確認してもらうことにした。
「何か・・・これ1つだけ他と違うみたいなんですけど・・・」
するとその女性は言った。
「あらホントですね・・・。どうしてかしら」
・・・聞いているのはこっちなんだけど。

結局、私が勝利した。
正しい「混ぜご飯」は私の方だったのである。
あとの2つこそが「調味料の入れ過ぎ」だったらしい。
けれど、もし3つとも間違えていたら
きっとそういうものだと思って食べていたに違いない。

モチロン、これからすぐ炊き直すと言ってくれたのだが
しこたま飲み、おなかもいっぱいだった私たちは
「正しい1つの混ぜご飯」を分け合って食べ満足していた。
最後に果物を盛り合わせたデザートを食べ
部屋に戻ることにしたのだが
それではどうしても気の済まないホテル側は
「それでは、おにぎりをお部屋にお持ちします!」
と言い張り、面倒くさいので私たちも了承した。

部屋に戻り、今回もDSライトで盛り上がっていると
間もなくその「おにぎり」が「フルーツの盛り合わせ」と
「漬物の盛り合わせ」と共に支配人を伴ってやって来た。

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結局おなかがいっぱいの私たちだったが
残すのは申し訳ないと、もう1度お風呂に入った後
無理してそれらを食べることになった。

今にして思えば「アイスクリーム」でも持ってきてくれた方が
嬉しかったな・・・。

・・・最終回につづく。

荷物の重い彼女のために、農園から
石和温泉のホテルまではタクシーで移動することにした。

私がこのホテルに宿泊するのは2度目だ。
前回は中学時代の同級生仲間と来たが、とても気に入り
ぜひまた来たいと思っていたのである。

食事前に、まずはお風呂に入ることにした。
最高に気持ちのいい露天で、私は2人に
「皮脂汗腺を開かせる入浴法」を伝授した。
TVの健康番組で知って以来、実践している方法だ。
何でも、皮脂汗腺が詰まっていると特に顔の毛穴が目立ち
吹き出物、シミ、しわ
さらには加齢臭の原因にもなると言う。

さっそく3人一緒に実践してみた。
間もなくすると、私たち2人は順調に顔からも背中からも
汗が次々に噴き出し流れ落ちたのだが
新潟の友人だけは汗もかかず1人涼しい顔をしていた。
真っ赤な顔の私たちに比べお風呂に入ったと思えない
フツーの顔なのだ。
・・・結局第1弾の入浴で彼女が汗をかくことはなかった。
彼女の「皮脂汗腺」はかなり頑固に詰まっているようだ・・・。

夕飯はものすご~く豪華で、ものすご~く美味しかった。
あわびに始まり、お刺身は伊勢えびにマグロ
何と!大トロ付きである。
その他にもカニ、煮魚、豆乳の牛しゃぶなどなど・・・。
さすがにちょっと採点の厳しい中目黒の友人も大満足だった。

ところが・・・やはり事件は起きた。
先ほど食べた伊勢えびが入ったお味噌汁が出され
お釜で炊き上がった「混ぜご飯」を食べようと
フタを取った時のことである・・・。

・・・まだまだつづく。

駅前の「観光案内所」で、もう1つ薦められたのが
「フルーツ公園を降りたとこ」にある農園だった。
「富士屋ホテル」に入っている美味しい桃は
ここの農園のだという。

新潟の友人の荷物は、公園内の直売所で試飲の結果
すでにワインを2本購入していたため重くなっていた。
それでも「フルーツ公園を降りたとこ」という
アバウトな案内を頼りにとりあえず私たちは歩き始めた。
ひたすら下りの道だったが日差しは強く暑かった。
他に歩く人もなく車もほとんど通らない道を
私たちは汗をかきながらセッセと歩いた。

途中、何軒か果物を直売している農園があったが
残念ながら目指す場所ではなかった。
・・・20分ほど歩いただろうか
さすがに不安になりかけていた頃やっと目指す看板を発見!
「あ~!着いたぁ!!」とホッとしたのもつかの間
よく見ると、看板の下に
「ここから500メートル」と書いてある。
ガッカリ・・・。

それでも何とか残りの500メートルを歩き
目的地に到着した時には
まさに砂漠でオアシスを発見した気分だった。
さらには冷たい麦茶と桃をごちそうになり
涙が出そうなほど感激した。
・・・心地よい風に、美味しい麦茶と桃。
経験した人でなければ味わえない究極の贅沢だ。

おじさんには「え~!公園から歩いて来たの?」と
驚かれたが、やはり歩いてくる人はいないらしい・・・。
今にしてみれば何とも無謀なことをしたものである。

やっと生き返ったところで
私たちはこの美味しい桃を注文した。
それぞれ実家や自宅宛に送ってもらうよう依頼したのだが
何を思ったか、新潟の彼女がB級品を買って帰るという。
それも1番小さい3個入りではなく、大きな桃を5個!
何と1,000円で分けてもらっていた。

言うまでもない。
これで彼女の荷物はワイン2本の重さに
大きな桃5個分がプラスされたわけである。

・・・まだつづく。

今回、私たちが行って来たのは「石和温泉」だ。

中目黒の友人とは、渋谷の改札で待ち合わせ。
約束の時間10分前にどちらも着いたものの
彼女は「東横線の改札」、私は「JRの改札」で待っていた
という不安を残したスタートとなった。

新宿で無事に新潟の友人と落ち合った私たちは
予定通りの電車に乗り「山梨市駅」に11時過ぎに到着した。
この梅雨のさなかの旅行に「折りたたみ傘」も持たずに
やって来た2人には驚いたが、何と!現地は晴れていた。

まずは駅前の「観光案内所」を訪ねることにした。
残念ながら、今は「さくらんぼ狩り」には時季が少し遅く
「桃狩り」には少し早いという、中途半端な季節だった。
結局、たまたまパンフレットを置きに来ていた
「富士屋ホテル」の人の薦めもあり
最初の予定通り「フルーツ公園」に行ってみることにした。
さらには「富士屋ホテル」の「桃パフェ」が
絶品だという話を聞き新潟の友人の目が光った。

「フルーツ公園」は、四季折々の果物が植わった
きれいな公園だった。
しっかりと手入れされた花壇には色とりどりの花があふれ
アスレチックコースなどもあり
かなり高台にあるため景色が良かった。
途中、ブドウ、梨、桃・・・等々を見ながら
私たちは公園の1番奥にある「富士屋ホテル」を目指した。

レストランに着くと、とりあえずお昼にすることにした。
前回のようにお昼を食べそびれ
カステラでごまかす訳には行かない。
私の頼んだランチには、デザートに
「桃のシフォンケーキ」と「桃の紅茶」がついていた。
実はそれが魅力でこのランチを選んだのだ。

「桃のシフォンケーキ」は、とてもしっとりとしていたが
私には「桃」というより「紅茶」という味に感じられて
友人たちのヒンシュクを買った。
友人たちいわく「しっかり桃!間違いなく桃!!」
なのだそうだ。
「桃の紅茶」は香りも色もまさに「黄桃」で
これには私も異論はなかった。

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デザートを食べ終わり、おなかもいっぱいだったが
「せっかく来たんだから」という理由をつけ
私たちはやっぱり「桃パフェ」を食べることにした。
そして、これは話の通り絶品だった!
中の桃のシャーベットがそれはそれは美味しかったのである。

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一口食べては大きな声で「 美味し~い♪」と
連発する私たちがレストラン中の注目を浴びたことは
言うまでもない・・・。


・・・つづく。

このところの私は、早寝早起きだ。
昨日も10時にはベッドに入り、今朝は4時に起きた。
老けたわけではない。
サッカ~!!W杯である!! いぇ~い!!! \(^o^)/

サッカーは本当におもしろい。
「日本が負けたところで俺のW杯は終わった」
と言って、こんなに素晴らしいものを見ない友人は
実にもったいない。
ある意味「本当の本場のサッカー」が見られるのだから。
あの正確なパス回し、無駄のない動き、完璧な守り
華麗なゴール・・・。
日本のサッカーと同じスポーツだとは思えない。
試合終了までドキドキワクワクの連続だ。

けれど、いよいよ残りは3位決定戦と決勝のみだ。
すべてが終わってしまったら
私は何を楽しみに生きていけばいいのだろう・・・。

ヒデが抜けた日本代表は本気で頑張らなければいけない。
いよいよ私の大好きな田中達也をFWに入れ
田中マルクス闘莉王をDFに呼ぶべきだろう。
阿部勇樹、鈴木啓太も忘れてはいけない。
新生日本代表を楽しみにそれまで静かに過ごすとしよう。

近所のマルクト(広場)のすぐ横に
アイスクリーム屋さんがあった。
娘のお気に入りだった。

インターにバス通学していた娘は
夏になると決まって2つ先のバス停まで乗り越し
アイスをなめながら歩いて帰ってきた。
今でもお気に入りのフレーバーを覚えているか
と聞いたところ、すぐに
「Erdbeere!」(いちご)
という返事がかえってきた。ドイツ語だ。

そしてまた「アイス屋さん」はワゴン車で
鐘(だったかなぁ・・・)を鳴らしながら売りに回っていた。
こちらは息子のお気に入りだった。

ドイツ語を話せない彼だったが
「アイン クーゲル ビッテ」(シングルでお願いします)
という言葉だけを覚え
欲しいものを指で指しては何とか1人で買ってきていた。
今でもお気に入りのフレーバーを覚えているか
と聞いたところ、こちらもすぐに
「ヨーグルトとかバナナだった」
という返事がかえってきた。日本語だ。

ドイツに滞在中、もう1つよく食べた「グミ」も
たくさんの種類があった。
味も形も色々だったが、中でも「黒グミ」は最悪だった。
ドイツ人は好んで食べるのだが
とても美味しいとは言えない。

息子は今でも時々、どこからかドイツのグミを買って来る。
やっぱり忘れられない味なのだろう。

その家で、下に住んでいた友人のピアノはプロ級だった。
彼女は音大を卒業しており
最初に彼女の家からピアノが聞こえてきた時には
CDをかけているのだとばかり思っていた。
それくらい見事な音色だった。

彼女には1人娘がいた。
当時はまだ小学校の低学年だったが
当然、その彼女も楽器を演奏した。
ピアノはモチロンのことだが
彼女のお気に入りは「チェロ」だった。
彼女は優秀な先生についてチェロを勉強した。
そして友人は、そんな娘を毎回車で送り迎えしていた。

最初は小さいサイズだったチェロも
子供の身体の成長に合わせて順々に
大きいものに買い替えなくてはならないらしい。
帰国が決まった時には
彼女はすでに大きいチェロを弾きこなしていた。
友人の話では、かなりいいもののようで
車も買えるほどの値段だと言っていた。

帰国が決まった時、彼女は悩んだ。
チェロを「引越し荷物」として送るわけにはいかない。
ましてや手荷物として預けるわけにもいかない。
楽器は繊細な壊れ物なのだ。

結局、チェロ用に「エコノミークラス」で
座席を1つ取ることになった。
彼女のチェロはシートベルトをして座席に座らされた。
そしてビジネスクラスに座った自分たちが
時々その様子を見に行くことになったのだった。

チケットにチェロの名前が書いてあったかは分からない。
そして、チェロに食事が出されたかどうかも定かでない・・・。

私たちが最初に住んだ家は集合住宅の4階だった。
全部で8世帯が住んでいたがその半分は日本人だった。
家は通りの突き当たりにあり裏は広~い原っぱだった。

ところが、それだけ広い原っぱにもかかわらず
そこではなぜか誰1人遊んでいなかった。
サッカーをする子供がいてもよさそうなものなのに・・・
と疑問に思ったものである。
理由はすぐにわかった。
たくさんの人が犬を散歩させるため「フンだらけ」なのだ。
確かに、とてもボールをころがせる状態ではない。
何とももったいない話である。

けれど、隣の集合住宅の庭は芝生がきれいに手入れされ
ドイツ人の子供たちがいつもサッカーをして遊んでいた。
はじめはのぞいていただけの息子だったが
いつの間にか仲間に入り一緒にボールを蹴っていた。
言葉はわからなくてもサッカーは世界共通である。

ある時、何やら外が騒がしいのに気づいた。
窓からのぞいてみると、裏の原っぱに羊が来ていた。
いつもは「ライン河」の河原で草を食べている羊なのだが
大雨で河が氾濫し、ここまで移動してきていたのだった。
ひとしきり「メェ~メェ~」と大騒ぎしたあと
羊飼いと犬を伴った、かなり大きな群れは
日暮れ前には戻っていったのだが、私はとても感激した。

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しかし、この広~い原っぱのおかげで
我が家は蚊に悩まされたのである。

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