つぶやきしーちゃん

2009年02月

地方に住む、私の別ブログ仲間の1人が
大変なことになっている。

彼女のご主人は現在55歳。
定年までの10年を残し先日解雇された。
勤続20年、おとといの水曜日25日付だそうだ。

入社当時は年3回のボーナスに全国各地への慰安旅行。
従業員同士の親交会などなど。
彼女曰く「生産業、景気のいい時は天国。
そして景気悪けりゃ地獄。真ん中が無い」

景気のいい時代が去り、平成不況が来ると生活は激変。
ボーナスカットどころかボーナスは無しが3年
退職金は廃止となり残業もゼロ。
彼女のご主人は夕方5時前には帰ってきたそうだ。

今年に入ってご主人の出勤日は減り
2月は3回しか出勤予定がなかったそうだ。
今週の初めに朝礼があると連絡があり
2週間ぶりに出社したところ解雇を言い渡されたと言う。
ご主人と同じ日付で半分が解雇され
残る半分も数日内には解雇予定だそうで
会社は倒産寸前だったようだ。
退職金はなく「解雇予告金」として28万円が払われ
それがご主人の20年のすべてだそうだ。

彼女自身もパートとして頑張って働いているが
それでも家族5人の食費は1日500円が精いっぱい。
先日は5人分の夕飯に「かき揚げ丼」を
たったの60円で作ったと書いていた。

ローンはあと3年残っているそうだ。
彼女は長年の「サラリーマンの妻」としての
扶養の立場を終え厚生年金から国民年金、健康保険へと
ご主人と共に手続きをしなければならなくなった。
これ以上何を切り詰めたらいいのか・・・
彼女は途方に暮れている。

私が凹んだ時、いつも励まし応援してくれた彼女。
会ったこともない彼女だけれど私の大切なブログ仲間だ。
その彼女のかつてない窮地に私は言葉を失くしている。
こんな時こそ気の利いた言葉をかけてあげられたらと思うが
私にできることは遠くから彼女を応援することだけだ。
自分の無力さにどうしようもなく腹が立つ私なのである。

私の頑張る手袋を紹介してから1ヶ月。
いよいよその頑張りにも限界が見えてきた。

前回補修済みの右手中指の隣の人差し指が・・・

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限りなく薄い。
手袋が必要なのはこの冬残り半月というところか・・・。
先ほどのお昼休みも一生懸命この手袋を撮影する私の横で
「100均にいい手袋売ってるよ」
と同僚が盛んに訴えたが
何としても私はこの手袋でこの冬を乗り切りたいのだ。

とりあえずまた補修するかな~と、ふと見れば

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左の親指も薄くなりかかってるじゃ~ん!

花粉の飛散開始とともに私はメガネ生活に入った。
ハードコンタクトをしていると違和感があり
かゆみまでは伴わないものの
やたらめったらショボショボするのだ。
今年の花粉はまずは目から来た・・・という感じ。

と言うわけで、現在私が使っているのがこれ。

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向って左側の少し細めのメガネはフレームがパールピンク。
かけると「賢そうな教育ママ風」になる。
ちなみに今日の私はこのピンクのメガネをかけ
ピンクのロングダウンに、先日紹介したピンクのバッグ
そして以前載せたピンクの手袋という呆れたスタイルである。

そして右側のメガネフレームはエンジ。
こちらはかけたら「アラレちゃん」に変身!
わたし的にはこちらの方が気に入っている。

メガネをかけていて困るのは温度差でレンズが曇ることだ。
部屋に入ったとたん真っ白で何も見えないというのは
あまりカッコがいいものではない。
そこで100円ショップに行き
「メガネレンズの曇り止め」を購入、愛用していた。
たまたま昨日は雨が降っていたため出がけに再スプレーし
安心して家を出た。

そして例のメチャ混み電車に乗り込んだ。
メガネは一瞬にして真っ白になった・・・。
え~!?何で?

恥ずかしさと腹立たしさでいっぱいになりながら
混雑でそのメガネを外すことすらできず
私はただひたすら下を向いているしかなかった・・・。

今朝の電車はメチャ混みだった。

私は通勤に3本の電車を使っているが
今日の問題は最後に乗る電車だった。
快速電車が信号機故障で運転を中止していたため
私の乗るこの電車にモロに影響した。
ドアが開いても誰1人降りないその光景に
私はその昔の通勤地獄を懐かしく思い出した。

けれど思い出に浸っている場合ではない。
私はこの電車に乗らなければならないのである。
1台目・・・すでに私の入る余地はなく諦める。
2台目・・・ドアが開いた時には超満員。
しかも1人も降りないため乗り込むスペースはない。
1番前に並んでいたにもかかわらず諦める・・・。
そしていよいよ3台目。
いい加減次こそ乗るぞ!と気合を入れた私は
読んでいた文庫本をバッグにしまい乗り込む準備をした。
幸い何人かが降りたのでチャンスとばかりに乗り込む。
私の後もあとからあとから乗り込む人で
私は押されてつぶされそうだった。

それでも背中と背中に挟まれなかったのはラッキーだ。
こうなるとチビの私は息ができない。
電車が動くたびにあっちへ押されこっちへ押されしながらも
私を乗せた電車は何とか降りる駅に到着した。

これで安心してはいけない。
私が降りるドアは反対側のドアであり
この電車から降りるまでが闘いなのである。
幸い、降りる人が多いのでその波に乗って私は移動した。

これだけたくさんの人が降りるとは思っていなかったのだろう。
ビミョーな位置に立つサラリーマンのオヤジは
1度降りて乗り直せばいいものを「俺は降りない」とばかりに
鼻息も荒く歯を食いしばり、波に逆らって抵抗していたため
ドア付近の車内であちこちから押されてクルクルと回っていた。

朝からオヤジのダンスは見たくなかったが
私も無駄な抵抗を続けるオヤジを回して下車した。
・・・あ~疲れた。

いよいよ花粉シーズン到来。
私にとってもこれからGWまでの日々は
花粉との闘いになる。

そこでテンションを上げるため春のアイテムをゲットした。
毎度おなじみ「LYON」のグッズたちである。
この憂鬱な季節をお気に入りのものたちに囲まれ
せめて気持ちくらいは明るくいたい。

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まずは最近のマイブームである「巻き物」。
以前紹介した2つは私の中では秋冬物の位置づけで
これは同じに見えても春バージョンなのだ。

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よく見れば柄も生地もちゃんと春らしい。
これを巻くだけで可愛くなるからあら不思議♪

そして春と言えばやっぱり気になるのがバッグ。
今回一目ぼれで購入したのがこちら。
私のことをそれはそれは大きな声で呼んでいた。

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やっぱりこの色!このデザイン~!!
何度見ても私のためにあるようなバッグだ♪

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こちらは裏側。
持っているだけでウキウキと幸せな気分になってくる。

さぁ!想像してみてほしい。
この「巻き物」を巻きバッグを持った私♪
メガネをかけ、顔のほとんどはマスクで覆われている。
・・・ちっともイケてない。

中学の3年間にはいろいろな事件があった。

まずは2年生の時の事件だ。
ある時、体育の授業を終えて教室に戻り
制服に着替えようとした私のスカートが無くなっていた。
制服はセーラー服で上下に分かれていたが
そのスカートだけが影も形も無くなっていたのである。
私は教室中をあちこち探し回った。
結局、発見されたスカートは教室の前にある
黒板の横の戸棚の隅に押し込まれていた。
しかも取り出してみるとスカートは真っ白だった。
本来このスカートは紺色だが
それがものの見事に「黒板消し」であちこち叩かれまくり
真っ白になっていたのである。
モチロン犯人は分からないままだった。

3年生になるとさらに2つの事件が起こった。
最初の事件があったのは運動会の合同練習の日だった。
体操着に着替えた私はグランドに出るため
「上履き」から「グランド履き」に履き換えようとした。
ところが私の「グランド履き」は無くなっていた。
違う場所に置かれていないか
一通りのゲタ箱を探し回ったが結局見つからなかった。
仕方なく私はただ1人「体育館履き」を履いて合同練習に出た。
みんなと違う私の履き物は目立っていたに違いないが
その様子を見た犯人はさぞかし喜んでいたことだろう。
こちらも誰がやったかはわからずじまいで
私の「グランド履き」も出てこなかった。

その悪夢が冷めやらぬうちに今度は「ブルマー事件」である。
この事件については以前も書いたことがあるが
早い話、当時の女子の体操着の定番であった
「ブルマー」が無くなったのだ。
それもなぜか5クラスある全てのクラスから
それぞれ2~3人のブルマーだけが無くなったのだ。
あちこちの席から盗まれていたことから
どうやら犯人は「人を選んで」ブルマーを盗んだらしい。
そうなると外部の犯行とは考えにくいが
結局この犯人も見つからず
選ばれて盗まれた私のブルマーも戻らなかった。

当時私が大親友と続けていた交換日記の中で
私はこの当日、1つの話題が終わるたびに
「ブルマー返せ~!」と叫んでいた。
さらにその日記の中で私は
「次の体育は(当時同じ中学の1年生だった)弟の
「短パン」を穿いて授業に出る!」と宣言していた・・・。

当時の私は相当恨まれていたようだ。

近所の「オフィスデポ」が閉店することになり
現在店内は売り尽くしセール中のようだ。

お昼から戻った社長は
手に「クリアーホルダー」が4束入った袋を抱えていた。
「もう普通のタイプがなくてさ~。
仕方ないから名刺入れ付きだけど買って来たよ」
私は言った。
「社長、確かまだ在庫ありましたよ」
・・・私は文具の入った棚で見かけた
使用済みのクリアーホルダーのことを指して言った。
「え?そうだった??」

社長はそう言うと、私の言った棚ではなく別の棚を開け
私と並んでその1番上を見上げた。
「A4クリアーホルダー」と書かれたその箱は存在した。
しかもどう見ても2箱・・・。
中身が入っていればその数は100×2=200枚。
「これ、空き箱じゃないですよね?」
社長が空き箱を決して捨てない性格であることを
最近知った私は一応尋ねた。
台に乗り箱を持った社長は言った。
「うん。2箱ともまるまる入ってる・・・」

私は今回購入した「名刺入れ付きクリアーホルダー」を
返品して来るとすぐに申し出たが
「いいよいいよ」と社長が答えたため
ほとんど使わないクリアーホルダーの在庫はさらに増えた。
ざっと見積もっても300枚近くあるだろう。
ちなみにあとから聞いた話だが
そのしまったままの200枚のクリアーホルダーも
その昔突然「安かったから買って来た」と
社長が抱えて来たものだそうだ。

そしてそのクリアーホルダー200枚の横に何やら箱があった。
「あれは何の箱ですか?」私は尋ねた。
社長の説明によると名刺を整理するためのもので
名刺をスキャンするだけでデータが保存されるらしい。
それがほぼ新品のまま箱に納まっている。

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「で?少しは使われたんですか?」
気のせいか私の言葉は尋問調になっていた。
「うん。最初少し使ってみたんだけど・・・」
「面倒くさくなって止めたとか?」
「まぁそう」
「それで今は名刺はどう整理されてるんですか?」
「ただホルダーに入れてるだけなんだけど・・・
だんだん増えちゃって溜るんだよね」
「そうですよ。定期的に見直していかなきゃダメですよ!」

さらによくよく調べてみると取り込んだデータの
保存先は何と!「フロッピー」だ。
言うまでもないがフロアのPCはすべてがビスタになり
「フロッピー」を使えるものはどこにもない。
私は言った。
「使えない物をいつまで置いておいても仕方ないですよ。
これ捨てていいですよね?」
社長は口ごもった。
「いや・・・△※▼○。
一応全部揃ってるし誰か使うかもしれないし・・・◆☆※」
私は言った。
「それじゃあ、みんなに確認して
誰も使わないようだったら捨てますからねっ!」

週末のたびに何かと掘り出し物を発見する。
先日見つけたものがこれだ。

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昭和64年発行の1円玉、5円玉、10円玉が
それぞれ40枚ずつと500円玉が2枚。
当時住んでいた社宅に「太陽神戸銀行」に勤める友人がいた。
その彼女が「将来価値が出るかもしれないから♪」
と言って持って来てくれたものである。
(モチロン両替をして・・・なので誤解のないように)

すっかりその存在すら忘れていた私だったが
このたびせっかく掘り出したので
現在の価値をネットで調べてみることにした。
   1円 →   3円。
   5円 →   7円。
  10円 →  13円。
 500円 → 600円。
保存状態にもよるが、どれも期待を裏切る安さだ。
実は「昭和64年」というのは1週間しかなかったものの
その後もこの年度の硬貨はしばらく発行されていたそうだ。
つまり硬貨の発行枚数自体は少なくも何ともない。
従って硬貨の価値も上がらないし今後も期待できない。
・・・何だ。ガッカリだ。

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続いて掘り出されたのがこの「伊藤博文」の千円札。
1963年から使用されたお札だ。
その後1984年には「夏目漱石」の千円札が登場し
2004年からは現在の「野口英世」に代わっている。
つまりこれは2代前のお札ということになる。
貴重かどうかは別として久しぶりに見たので載せておく。

そして今回何よりの大発見だったのがこれ!

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我が家の娘と息子の「へその緒」である。
昔から探していたもののどこを探しても見つからず
さすがに心配になっていたところだった。
それがこのたびめでたく
「何でここにしまうかなぁ・・・」という場所から出てきた。
とにかくこれで一安心。
何よりホッとしている母であった。

いつもの幹事仲間に同級生同士で結婚した夫婦がいる。
このたび彼女らは地元である新宿に二世帯住宅を建て
年明けに無事引越しを終えた。

今回私たちは彼女らの新居完成のお祝いを兼ねた
「新年会」をやるべくその新居にお邪魔した。
メンバーは気心の知れたいつもの仲間たちだが
言うなればその地域は私たちの地元でもあり
懐かしさも倍の会となった。

当初、土曜日でもあったため参加予定者は多くなく
「集まれるメンバーだけでこじんまり」のつもりだったが
フタを開ければ入れ替わり立ち代わり大人数で大騒ぎ!
マグロとの悲しい別れもすっかり忘れ
メチャメチャ楽しい会となった。

今回、卒業から30年以上が経ってやっと消息が分かり
みんなに会いたいと初参加したのがバスケット部のS介。
「変わってない~!」と言い合う感動の対面となった。
その後話はどんどん盛り上がったが
みんながみんな、彼の記憶力には驚きを隠せなかった。

S介の話によれば、私は高校の時に彼と2度会っていたらしい。
バスケの試合に我が高にやって来た彼とバッタリと会い
ちゃんと会話もしたという。
さらには私が結婚後に実家へ顔を出した時にも
たまたま我が家の前を通りかかった彼と会話をしていたらしい。
彼はどの会話の内容もハッキリしっかり覚えていて
「覚えてないのかよ~」と呆れられてしまった。
ちなみに彼は現在消防士。
それがバツグンの記憶力と関係あるかどうかは分からない。

先ほど、昨日のメンバーたちにメールしたところ
彼から返信が届いた。
「実はまだ家に帰っていません」
・・・あらら。どこまで流れていったやら。

今朝、家を出るとポストに手紙が入っていた。

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大好きなマグロからのお別れの手紙だった。
・・・ガァ~ン!!
たった1日顔を見に行かなかったからと言って
サッサと引越してしまうなんてあんまりだ。

今週は「朝当番」の週だったので
私はいつもより30分早く出社しなければならなかった。
そのため朝に村へ寄る時間的余裕はなく
訪問は夜寝る前の1回だけになってしまっていた。
それが昨晩はTVを見ながらいつの間にか爆睡していて
すっかり村への訪問を忘れてしまったのである。

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マグロの家のあった場所だ。
正直、私はとてもショックを受けている。
その昔、同じようにたった1日で引越してしまったリッキー。
私の祈りも通じず彼は未だに戻ってこない。
そして今日のマグロ・・・。
私は深い悲しみに沈んでいる・・・。

とても今日の同級生との新年会で騒げる気分ではない。

人間のタイプは4つに分けられるという話を聞いた。
会社によっては昇進の際にこの研修を受けるとこもあり
部下など相手のタイプを知ることで
それぞれに合った接し方が可能となるという。

調べてみるとそれは
「CSIによるコーチング流タイプ分け」だった。
心理学の専門家からなるプロジェクトチームが作り上げた
コミュニケーション・スタイルによる分類だそうだ。

4つのタイプを要約するとこんな感じになる。
「コントローラー・タイプ」
  行動的で自分の思い通りに物事を進めることを好む。
  過程よりも結果や成果を重視し物言いは単刀直入である。
  ペースが速くこわおもて。
  他人から指示されることが何よりも嫌い。

「プロモーター・タイプ」
  オリジナルなアイデアを大切にし
  人と活気あることをするのを好む。
  自発的でテンションが高く楽しさこそが人生と考える。
  新しいことを立ち上げるのは得意だが、あきっぽい。
  細かいことはあまり気に留めない。

「アナライザー・タイプ」
  行動の前に多くの情報を集めて分析し計画を立てる。
  物事を客観的に捉えるのが得意である。
  完全主義的なところがあり、ミスを嫌う。
  人との関わりは慎重で、感情をあまり出さない。

「サポーター・タイプ」
  人を援助することを好み、協力関係を大事にする。
  人の気持ちに敏感で気配りに長けているが
  自分の感情は抑えがち。ノーと言えない。
  人から認めてもらいたいという欲求が強い。

たとえば何か頼みごとをする場合の言い方1つをとっても
タイプが違えばそれぞれに合った言い方があり
それを間違えると断られることにもなりかねないそうだ。

これらは仕事上のコミュニケーション手段として
必要不可欠であることはモチロンだが
プライベートでも十分活用することができる。

ちなみにこの話をしてくれた友人も
このタイプ別話術を活かしてたくさんの女性を口説き
充実したプライベート生活を送っている・・・。

何だかねぇ・・・。
絶対勝たなければならなかった試合に「引き分け」って。
ホームでの引き分けは負けに等しいでしょ。

11本もシュートを打ちながらも得点はナシ。
そもそも枠を捉えていたシュートの本数を数えれば
ゼロというのも納得してしまうけれど。
確かにゴール前まで行ったならシュートで終わるのは正解。
それでも打ちゃいいってもんでもないし。

60%以上のボール支配率でありながら
クロスの精度の低さや、パスミスなど
個人技のレベルの低さも目立った。
決定力のなさについては今さら書くまでもない。

引き分けでもよかったオーストラリアとは違うのだ。
後半の選手交代についてももう少し工夫が欲しかった。

最悪なのは試合後の選手たちのコメントだ。
「オーストラリアは強くなかった」だの
「思ったほどではなかった」だの・・・
そういうことはしっかり勝って結果を残してから言うべきだ。
その強くなかった相手から1点も取れなかったのだ。
全く、呆れてものが言えない。

夢にまで見た「ジョトォ」のシュークリーム♪

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仕事で外出した同僚が1日2回しかない販売のうち
12時の回の25分前に到着し
4番目に並んで買ってきてくれた。
1箱は3個入りで630円。
たくさん欲しくても1人5箱までの限定販売だ。

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さっそく3時にいただいた。
見たとおり、まずはその大きさにビックリ!
さすがに食べ切れるかどうか不安になった。

けれどそんな不安はどこへやら。
いざ食べ始めてみれば皮はカリカリで、その上には
とっても香ばしいナッツがトッピングしてある。
そしてシューの中には
バニラビーンズ入りのカスタードクリームがたっぷり。
これが甘過ぎず重過ぎず軽やかな味♪
大きさをまるで感じさせないシュークリームで
この私もあっという間に完食!

そしてモチロン職場のみんなも大満足!
ダイエット中のため、お菓子系は拒否していた社長までもが
「じゃあ半分だけ」
とカットしたシュークリームをペロリと食べ
「確かにこれ美味しいね」
と感想を述べていた。

これで私も今のところ思い残すことはない。

最近はもっぱらメールで
手紙を書くことがなくなってしまったが
私が文字を書くのが好きだということは前にも書いた。
友人宛ての手紙が分厚過ぎて封筒に入らないことも度々で
まさに「文字オタク」である。

メールがなかった時代、便せんに封筒
そして万年筆が私の大切な宝物だった。
入学のお祝いと言えば万年筆が一般的だった時代である。
そんな私の筆記用具たちだ。

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手前の白地に薔薇の入った万年筆は
中学校の入学祝いの名前入り「プラチナ」の万年筆。
キャップの表面がボロボロで
いかに愛用していたか一目瞭然である。
真ん中は2代目の名前入り「パイロット」の万年筆。
いつ買ったものかも記憶にないが・・・高校か?
3代目はまた「プラチナ」の万年筆。
これはたぶん社会人になってからのものだろう。
なぜか名前は入っていない。

実はこれらと並行して中学、高校と使っていたのが
おもちゃっぽい「セーラー」の万年筆だった。
当時はカラーインクで手紙や交換日記を書くのが流行り
ピンク、緑、水色、オレンジ、黄色、茶色などの
色インクを使うためだけに購入したものだ。
残念ながらその赤い本体はどこを探しても見つからず
たぶん前回片付けた時に処分したものと思われる。
寂しく残っていたのがこのスペアーインクたち。

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よく見ると未使用であるにもかかわらず量が減っている。
さすがに30年も経てば
蒸発してしまったところで文句は言えない。

そして最後は「モンブラン」。

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手前が横文字での名前が入った万年筆で
奥はかなり使い込んでいるボールペンだ。
今回久々に発見されたこの万年筆は全くの未使用だった。
たぶんドイツ時代に買ったものだと思われるが
インクカートリッジにはインクを入れた形跡もなく
実際、その使い方も不明だった。

私はさっそく近くのモンブランブティックを調べ
ちょうど無くなったボールペンのカートリッジを購入しつつ
万年筆のインクについて訊ねてみた。
このタイプの万年筆は両方のインクが使用できるそうで
インクボトルから吸い上げてもいいし
カートリッジタイプを使ってもいいという。
それで家にはモンブランのインクボトルがあったのだ。
納得~。

使い方も万年筆の値段も分かり、気分がスッキリしたので
帰る道々、私は再び万年筆生活に戻ることを決意した。
せっかくこんないいものがあったのだ。
これを使わなければそれこそ「宝の持ち腐れ」である。

今、このモンブランは私が毎日つける
「こづかい帳」を書く時にしか出番がない。
「○月○日、セブンイレブン、昼、598円」・・・。

いささか気合いが空回りした感がなくもない。

これまで物が増えすぎたことを反省し
最近は部屋を少しずつ片付け始めている。
この先を考えても人間「シンプルライフ」が1番だ。

捨てるものは捨て、売れそうなものは
オークションに出してみる。
過去に「いつかは使うかもしれない」と取っておいて
実際に使ったものがどれだけあるだろう。
捨てたくないしっかりした理由がないものは
思い切りよく処分するに越したことはない。

そうしてあちこち開けているうちに
何やら忘れ去られた懐かしいものたちが出てきた。

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まずは鉛筆・・・しかも名前入り。
小学校の入学時にはみんなが買ったものである。
このuniの鉛筆は
これにグリーンを入れた6色がセットになっていた。
私のお気に入りの鉛筆だったが
未だにそのまま残っていたとは驚きである。

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こちらは知る人ぞ知る「ボンナイフ」。
折りたたみ式のナイフで、先の丸まった鉛筆を削るために
当時はほとんどの子供が「ふで箱」に入れていた。
これはたまたま金色で小鳥柄だが
色も図柄もいろいろなものがあった。

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ひらくとこんな感じだが、今見るとかなり危ない。
モロにカミソリの刃だ。
それでも当時はこのナイフを振り回す子供はいなかった。
このボンナイフ、今はもうないだろうな。
実際知っている人も少ないだろう。

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それからペンケースが2つ。
私の好きなキティちゃんとベティちゃんのもの。
大好きなものはいつ見ても
幸せな気分になれるから不思議だ。

ということで、これらはさんざん懐かしがられたあと
捨てられることはなくまた元の場所に保管された。
・・・ちっとも片付かないじゃん。

友人であるfunkyからの情報によると
最近は女性の「ふんどし」が流行っているそうだ。

調べてみた。
その名も「ななふん」。
何と!あのワコールから発売されている。
締め付け感がないので、お風呂あがりのリラックスタイムや
パジャマの下にどうぞ・・・という売りだがどうなの??

つけ方もちゃんと図解してあるが何だかねぇ~。
実際「ななふん」をつけた場合、上はどうするのか。
ちゃんとそこまで考えるのがワコール!
「ななふん下」に対して「ななふん上」もある。
ちゃんと上下で色をそろえて使えばオシャレと言うわけだ。
ちなみに「ななふん上」は1,890円。
「ななふん下」が1,260円。
上下で揃えても3,150円であるが私は買わない。
男性諸君ホワイトデーのお返しにいかが?
[http://store.wacoal.jp/disp/CSfLastGoodsPage_001.jsp?GOODS_NO=33390]

そしてこれに負けじとすでに登場しているのが
男性用ブラジャー「メンズプレミアムブラ」である。
参考までにブラジャーをしている男は「ブラ男」
ブラジャーをしているサラリーマンを「ブラリーマン」と言う。
ちなみにふんどし女を「ふん女」と言うかはわからない。
この男性ブラはサイズも3サイズあり
色も白、黒、ピンクと取り揃えている・・・ピンク?
価格は2,800円だが売り上げは順調で
すぐに注文しても今月末の発送になるらしい。
[http://item.rakuten.co.jp/wishroom/mensbra/]

男がブラジャーをつけ、女がふんどしを締める。
日本は一体どうなってしまったのか・・・あ~世も末だ。

撮影すると相当枚数になるため載せていないが
家には山口百恵のポスターもかなりある。
そしてポスターで思い出すのが高校1年の時の 
「セシルチョコレート、ポスター事件」である。

その当時、私の大好きな百恵&友和は
2人でセシルチョコレートのCMに出ていた。
それはとても雰囲気のいい爽やかなCMで
その2人で並んでチョコレートを持つ広告が
雑誌などにもよく出ていた。

ある時、私が利用していた私鉄の車内にも
その広告が貼り出された。
車内にかかる「吊り広告」部分を使った
横に長~い2人のポスターである。
私はど~~してもそのポスターが欲しかった。

決行は下校時の車内だった。
終点である駅で乗客がほとんど降りたのを見計らうと
私は友人とともに手を伸ばし
「せ~の!」でタイミングを合わせ
ポスターを引き下ろした。
その連係プレーは絶妙でポスターは破けることなく
綺麗にゲットできた・・・と思ったがやっぱり見つかった。

私たちは駅員室に連れて行かれた。
幸い、私たちは私服を着ており
その沿線には学校も数多くあったため
ダンマリを決め込んだ私たちの
学校名も名前もバレることはなかった。
駅員は型通りに私たちを注意したが
どうしても欲しかったという私の気持ちに理解を示し
そのポスターとともに釈放してくれた。

手伝ってくれた友人には申し訳なかったが、こうして
私は何とかこのポスターを手にすることができたのだった。
どこにも売っていない特大サイズの2人である。
わたしはこれをさっそく部屋に飾った。
大切な大切な宝物だった。

それは私が結婚して家を出るまで貼ってあったが
今回どこを探しても見つからなかった・・・。
あれだけ苦労してゲットしたものを
私が簡単に処分するはずはないのだが。
見つかった時には是非また披露してみたい。

「T線の駅員さん、すみませんでした。
とっくに時効だと思いますが改めてお詫びします」

今日は大好きな山口百恵のコレクションを紹介しよう。
まずは彼女の全シングルレコード。

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右端に写っているのは「引退コンサート」のビデオ。
右端手前の一回り小さい「百恵回帰」はCDで
1992年に発売された新しいアレンジのベストアルバムだ。

続いては彼女の主演映画のパンフレット。

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ところがこの写真撮影のために並べてみてぶっ飛んだ。
どこを探しても「野菊の墓」のパンフがないのである。
どこへしまったのか・・・失くしたのか・・・
今となってはどうしようもない。
すべて持っていると思っていたのに実にショックだ。

こちらは番外編。

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手前の2つのパンフは「百恵ちゃんまつり」のものだ。
昭和52年と53年に見に行った。

そしておまけ。

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「別冊 近代映画」はモチロン2人の特集号。
すべてのページが百恵と友和であふれている♪

私はデビュー当時から彼女の大ファンだった。
彼女の結婚は11月で、私は同じ年の10月。
現在ロックバンドのボーカルである長男の祐太朗くんと
我が家の長男は同じ年の同じ月生まれである。
私たちが最初に住んだ社宅の窓からは
当時彼女たちが住んでいたマンションが見え
それだけで私は幸せだった。

私は今でも彼女が大好きである。
一度引退した人が、のちに戻ることの多い芸能界で
どれだけ望まれても戻らない彼女は偉い。
1ファンとして彼女には
このままいつまでも伝説でいてくれることを願っている。

職場で隣に座る女性は
携帯を購入したもののほとんどが不携帯である。
携帯は「自分が電話をかける用」であり
メールもやったことはない。

金曜日の帰り道、彼女とこの話で盛り上がった。
「携帯は常に持っていないと携帯じゃないでしょ~」
私は彼女に鋭く突っ込みを入れながら帰宅した。

着替えを済ませパックを開ける。
携帯が見当たらない。
あれ?どこに入れたっけ?
バックの中をゴソゴソ探すもののどこにもない。
・・・あ゛~!!会社のデスクの引き出しだ!
まったく偉そうなことは言うもんじゃない。
私だって不携帯だ。

ふと、会社へ取りに行くことも考えたが
この土日は特に出かける予定もないため
そのまま週末を過ごすことにした。
ただ、娘が翌日来ると言っていたため
何かの時には家にかけるよう知らせておいた方がよい。
娘の携帯番号は・・・え~っと何だっけ?
仕方ないので息子に連絡しメールしてもらおう。
息子の携帯番号は・・・え~っとわからないじゃん。
考えた結果、実家に電話し教えてもらうことにした。
・・・ところが留守電で誰も出ない。

途方に暮れていたところ、テーブルの上に
息子宛てのドコモからの再請求ハガキを見つけた。
支払済みなので中が見える。
もしかして番号が書いてあるかも・・・あった!
こうしてめでたく息子に電話をしたものの
1度ではつながらず2度目の電話でやっと用が済んだ。

今朝、引き出しの中には忘れ去られた携帯が
着信のあったことを伝えるライトを点滅させ
寂しそうに私を待っていた。
不在着信・・・1件。
留守電メッセージ・・・1件。
今朝6時に鳴ったアラーム・・・1件。
そしてメールが4件。

うち1件は金曜の息子からだった。
「電話した?」

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