つぶやきしーちゃん

2010年01月

我が家のキッチンの出窓にはミニシクラメンがある。

買ってきたのはいつのことだったろう。
去年のある日、花が終わってしまったと思ったら
いつの間にか葉っぱも枯れ
気がつけば球根だけになっていた。
今までの私であればその段階で別れを告げるのだが
日々の忙しさにそちらまで気を使うこともできず
球根だけのミニシクラメンはそのまま放置された。

花も葉もないのに水をやる必要もない。
結局、何1つ世話をされることもないミニシクラメンは
結果として休眠状態に入ったことになる。
ところがコレが良かったらしい。

季節が秋になったころ1枚の葉っぱが顔を出した。
「え!?生きてたの?」
だったら水やりをするまでだ。
私はその1枚の葉っぱのために再び世話を始めた。
すると葉っぱは日に日に枚数を増やし
段々としっかりした葉に生長した。
それでもつぼみが出てくる気配はない。
「やっぱり花は咲かないか・・・」

ところが年末になって1つのつぼみが顔を出した。
そして順調に出てくると花を咲かせた。

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まさに年の瀬、12月も27日のことである。
そしてこの花はやたらと元気で
そのしっかりした花は今日現在も咲いている。

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何と!今では花は2つに増えた。
こうして我が家のキッチンのミニシクラメンは
完全なる復活を遂げた。

私はこのミニシクラメンに
自分の明るい未来を見たような気がした。

年末にしっかり食べ納め
あれからまだ1ヶ月も経たないと言うのに
火曜日、私はまたしても「トマト鍋」を食べに行った。

今回は前の会社の同僚と2人だ。
予約をしてくれたのは彼女で、その時の話では
テーブル席がいっぱいでカウンター席になると聞いていた。
カウンター席で並んでトマト鍋もビミョーだが
それだけ人気があり予約が取れないのだから仕方ない。
私たちはカウンター覚悟で出かけた。

ところが入り口で予約名を名乗ると
店員がリストを確認したがその名前はなかった。
結局、予約が入っていなかったことになった私たちは
非常時用と思われる席に通されたが
何気にそこはトイレの入り口にある席だった。
つまりトイレを使う人たちが
入れ替わり立ち替わり私たちのすぐ横を通るわけで
落ち着かない席であることは間違いない。
それでも一応テーブル席ではあるので
良しとするしかないだろう。
私たちは腹を決めて席に座った。

すると先ほどの店員が慌ててやって来た。
ちゃんと予約が入り席の用意もしてあったと言う。
よくよく聞いてみると私たちが2人だったため
彼女はカウンター席と2人席の
予約だけを確認していたらしい。
実際私たちも
「カウンターで予約してもらってるはずなんですけど」
と彼女に告げた。
ところが何と!私たち2人のために用意されていたのは
ちゃんとした4人のテーブル席だったのだ。
そのため彼女は見落としてしまったと言うのである。

必死に謝る彼女だったが私たちはご機嫌だった。
カウンター席のつもりが広々テーブル席だったのだ。
今となってはそんな小さなことはどうでもいい。
再度案内されると、私たちは手に手に
来る前に予約して購入した「堂島ロール」を持ち
やっと落ち着くべき席に着いた。

とにかくこうして彼女が超~楽しみにしていた
トマト鍋コースがスタートした。
さすがに、先日来たばかりの私に気を使ってくれ
今回頼んだのは「海のトマト鍋」に「バターリゾ飯」。
ちなみに1ヶ月前は
「山のトマト鍋」に「チーズリゾ飯」だった。

出てくる料理はモチロン前回と同じだが
いつ食べてもトマト好きにはたまらない♪
本当に美味しいトマトたちを
私は今回も心行くまで堪能させてもらった。

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前回すべてを撮影したので写真は撮らなかったが
バターリゾ飯が完成した段階でパチリ。
どうせなら食べる前に海のトマト鍋を撮れば良かった。

今回も2時間制であったが
彼女は全てのトマトに大感激!大興奮!!
「すぐは何なので来月になったらまた来たい♪」
と言った。
次回は是非「豆乳トマト鍋」に挑戦したいと言う。

・・・3ヶ月連続トマト鍋ね。
もう行くしかないでしょ。

会社の近くに美味しいたい焼き屋さんがある。
知る人ぞ知る「わかば」だ。
そしてある日突然、私はここのたい焼きが食べたくなる。

我慢をして身体にいいことはない。
思えばこれまで人生の中で私はたくさんの我慢をしてきた。
新しい年を迎えるにあたり私は誓った。
この先残された人生は我慢することなく生きて行こう!
と言うわけで、早速たい焼きを買いに行くことにした。

「わかば」の創業は1953年。
「たい焼き」の老舗である。
一尾は少し値上がりして現在は税込140円だ。

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このたい焼きの型は洋画家・木村荘八さんの
色紙から起こした独自の型なのだそうだ。
良く見るとあんがしっかり詰まった尻尾には
「わかば」の文字が入っているらしいが
・・・ちょっと読めない。

けれど抜群に美味しい♪
職場の女性は
「ここのたい焼き食べたら他じゃ食べられない」
とベタ褒めである。
確かに皮はカリっと焼き上がっているし
甘すぎないあんはたっぷり入っている。
それでも重過ぎず
あっという間に食べられてしまうのである。

ちなみにこの「わかば」は、人形町の「柳家」
麻布十番の「浪花屋総本家」とともに
「東京のたい焼き御三家」と評されているそうだ。
それだけに並ばずに買えることはまずない。
事実、私も開店から1時間後の早い時間に行ったが
すでに4人が並んでいた。
そして私がたい焼きを手にした時には
私の後ろにいつの間にかまた4人が並んでいたのである。

それでもまた食べたくなる。
それが「わかば」のたい焼きなのである。

今日は今年初めての検診日だった。
今回も診察のみなので、さほど時間はかからない。

診察待ちで私の隣に座った女性は
今日が初診らしく紹介状を持参していた。
年末に受けた健診で
目にかなりの欠損があることが分かったらしい。
反対側に座った女性も初めて来た患者さんらしく
その混雑ぶりに驚いたと話しているのが聞こえた。
今日はいつもより
女性の患者さんの割合が多いように感じた。

今日の眼圧は左右ともに「13」。
目標値は前回記録した「12」なので若干高い。
ただ眼圧自体は1日のうちでも変化するものなので
あくまでも目安でしかないわけだ。
先生曰く
「目を使おうが休ませようが変わらない。
目薬を最大量まで増やした上で
効果が無ければ覚悟を決めて
あとは欠損の進行状態によって手術をするしかない」
のである。

私が現在使用している目薬は最大量。
つまり私にはこの先手術しか道はないわけで
その時期は欠損状態によって決まるということである。
ただし、その手術は100%ではなく
手術をしたからと言って
全員の眼圧を下げられるわけではない。
手術をしても効果のない人はいるわけで
そうなれば現在の医学ではお手上げ。
つまり視野が狭くなるのを止める手立てはないのである。
最終的には失明・・・最悪の場合はそういうことだ。

私は自分の寿命が目の寿命より短いことを願っている。
目が見えなくなることは恐怖以外の何物でもなく
人の手を借りなければ生きていけないだろう自分を
想像したくはない。

幸い以前の記録を見れば最初の頃の眼圧は「18」前後。
低い時でも「16」前後だったことを考えれば
今の「13」は夢のような数字だ。
少なくとも今のところ私には
この3本の目薬の組み合わせが合っていると思える。
何とかこのまま1日でも長く頑張ってくれるよう
私には祈ることしかできない。

毎度おなじみの中目黒の友人が
先日東京駅を使った際に思い出した。
私が東京駅でしか買うことのできない「かりんとう」を
以前からずっと食べたがっていたことを。

「日本橋錦豊琳」は東京駅構内地下1階にある
かりんとう専門店である。
このお店のかりんとうはとても人気があり
買うためには並ぶことを覚悟しなくてはならない。
特に1番人気の「きんぴらごぼう」は
遅い時間になると売り切れていることも多いらしい。
そして私は是非1度、この噂の「きんぴらごぼう」を
食べてみたいと思っていたのである。

月曜日であったためさほど並ばずに買えるかと思いきや
それでも彼女は30分ちょっと待たされた。
元々彼女自身はお菓子を食べない人で
今回も旦那のfunkyと私のために並んでくれたのである。
あ~~持つべきものは優しい
高校時代の体操部仲間の友人である・・・。

さっそく仕事帰りに彼女と落ち合った私は
めでたく念願のかりんとうをゲットすることができた。
「きんぴらごぼう」だけでも十分なのに
何と!彼女は「黒こしょう」と「野菜」までも
プレゼントしてくれたのである。

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涙がチョチョ切れるとはまさにこのことだ。

さっそく写真撮影を終えると期待に大きく胸を膨らませ
まずは「きんぴらごぼう」から行くことにした。
ポリポリポリ・・・ん~まさにきんぴらごぼうの味。
ポリポリポリ・・・ん~~辛い・・・。
ポリポリポリ・・・ピリピリ。
知る人ぞ知る、私は辛いものが大の苦手だ。
この歳でカレーは甘口、お寿司はサビ抜きと決まっている。
残念ながらそんな私にとって
このかりんとうはかなり辛かった。

続く「黒こしょう」は彼女曰く
「甘いんだか辛いんだかハッキリしろと
言いたくなる中途半端な味」
だそうだが、正直私にはこしょうの味しかしなかった。
ん~~残念だけどこれも苦手かも・・・。

最後の望みをかけた「野菜」。
ニンジン、ホウレンソウなど5種類の野菜のかりんとうだ。
これはさすがに辛くはなかったがかなり塩が効いていた。
それでも野菜は私には1番食べやすい味だった。

何気に私はかりんとうには甘さを期待しており
どれも私にとっては残念な仕上がりと言わざるを得ない。
並んでまで買ってくれた友人には申し訳ないが
今回は閃くものがなかった。

このお店のかりんとうは全部で12種類ある。
中には「ねぎみそ」「むらさきいも」「竹炭」などという
ちょっと変わったかりんとうもあり、興味のある方は
私のことは気にせずに是非チャレンジしてもらいたい。

友人のお母様が亡くなられ昨日がお通夜だった。

地元の葬祭場で営まれたお通夜には
私たち中学時代の同級生が多数駆け付けた。
彼女たち夫婦は同級生同士であるため
参列者には必然と仲間たちが多くなるわけである。
私も頼まれた分を含め香典袋を4つ抱えて参列した。

最終的に集合した同級生は12人。
お焼香を済ませ、通夜ぶるまいをいただくと
そのほとんどのメンバーが近くにある同級生のお店へと移動
お店の半分を占める座敷は喪服の同窓会と化した。
と言ってもメンバーはほとんどがいつもの温泉メンバーで
これと言って新しい顔ぶれではない。

それから3時間ほどそこで笑ってしゃべって大騒ぎしたが
場所が地元であったために
今日のテーマはすぐ横の通りの変化についてだった。
私たちがここに住んでいた当時この通りは2車線だった。
そして通り沿いは坂の下まで商店街だった。
ところがこの通りは道幅が拡張されて生まれ変わり
両側にあったお店のほとんどが無くなってしまったのである。

先日も近くまで来たついでに
通りに足を運んだ隊長はそれをとても嘆いていた。
彼の小学校の同級生の家であったお店も無くなっていたのだ。
そしてそこからいつもの彼の記憶力が発揮され始めた。
何と!彼はその通りにあったお店を
端から順番に挙げ始めたのである。
それはディスコのずっと前身である
「ゴーゴー喫茶」のあった場所から始まり隣の薬屋へと続く。
おもちゃ屋、肉屋、文房具屋、パン屋、花屋、洋品屋
葬儀屋、おそば屋、電器屋、材木屋、本屋、スーパー等々。
彼は鋭くお店の名前までをもしっかり記憶しており
私たちの記憶もまた彼によって呼び戻された。

初めてTVがカラー放送になった時
私は文房具屋の隣にあった電器屋の店頭のTVでそれを見た。
色のついた画面を見て
子供心に感動した記憶は今も残っている。
みんなと盛り上がる中でふと、そんなことを思い出した。

10時過ぎにお開きになったのと同時に
先ほど葬祭場で挨拶をして別れた彼女夫婦が顔を出した。
またまた同級生の登場である。
ここから歩いて帰宅できる友人たちは何人もいるが
電車組はやむなく翌日のために解散することにした。
私は久しぶりに再会した
店主のバスケ部だった彼に挨拶するとお店をあとにした。

そしてお通夜に参列したというのに
私は楽しさいっぱい、元気いっぱい♪
4つの会葬御礼を入れた大きな袋を抱えて帰宅した。

環境に優しいマイボトル。
以前から気にはなっていたのだが
ある日突然思わぬ形で私のところへやって来た。
私の大好きなお店LYONが
3ヶ月連続で行ったキャンペーン賞品として
このデザインタンブラーをプレゼントしてくれたのだ。

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現在注目されているこのタンブラー。
何気に容器が二重になっていて保温・保冷効果が高い。
すでに大手コーヒーショップチェーンでは
持参したタンブラーにドリンクをサーブしてくれるそうだ。
紙コップを使わないのでゴミを減らすことができ
エコに協力できるという優れものである。
さらに嬉しいのはタンブラーを持参することで
ドリンク代が少しだけ割引になるそうだ。
常連さんであればこれを利用しない手はないだろう。

そしてこのタンブラーはデザインを換えることができる。
私はこのかわいいピンクで何も文句はないが
これ自体は紙を入れているだけなので
お気に入りがあれば好きな絵や写真に入れ換えればよい。
簡単に自分だけのオリジナルタンブラーができる。
実際ネットで探せば、色々なデザインを
ダウンロードできるサイトがたくさん出て来る。

ということで今後はこのマイタンブラーを持ち歩き
せいぜい活用してみようと思うこの頃である。

娘夫婦は土曜日、元気に新婚旅行へ出発した。
まずは11時間かけてタヒチへ飛び
そこから5時間半かけて「イースター島」へ行く。
その後再びタヒチへ戻ると
今度は1時間飛んで「ボラボラ島」へ行くそうだ。
たまたまちょうどいいタイミングで
先週末、イースター島についてTVでやっていたが
海とモアイ像しか無かった・・・。

そして私はと言えば
先週はその娘の結婚式報告を更新しながら
日々「しもやけ」と闘っていた。

「何か足が変!」
と思ったのはちょうど先週の月曜日だ。
訳もなく右足の薬指が痛いのだ。
ところがどこをどう見ても赤くもなければ腫れてもいない。
痒みは無くただただ痛いのである。
それでも「しもやけ」を疑った私は薬を塗ることにした。

火曜日になるとさらに痛みは続き、痒みもプラスされた。
もともと足の指の中でも特に指先が丸く
コプラのような形をしている笑えるその指は
腫れていたとしてもかなり分かりづらい。
けれどこれは、この痛痒さは「しもやけ」に決定だ。

少なくとも娘の式が終わった後で良かった。
式の最中に足袋の上から足をポリポリもぞもぞしていては
後々何を言われたか分かったものではない。
「しもやけの母」として有名にならずに済んだのである。

とにかく私は毎日セッセと薬を塗り替え、先週を過ごした。
のちにコブラは赤くパンパンに腫れ上がり
一段と大きな頭となったが、幸いピークを越え
今日は薬こそ塗っているが痒みも腫れも落ち着いた。

私はかなり長い人生をここまで生きてきたが
しもやけにはほとんど縁が無かった。
子供の頃、たまに赤く痒くなることはあっても
こんなに派手に長引いた記憶は無い。
それが今、なぜに右足の薬指だけなのか。
そもそもどうしてしもやけになったのか。
解明できない謎は多い。

小鼻の出来物に始まった一連の騒動が
このしもやけで落ち着くことを祈りたい。

娘は白いドレスに着替え髪を下ろしていた。
そのままキャンドルサービスに回る。
BGMは私の大好きなドリカムの「未来予想図Ⅱ」だ♪

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各テーブルのキャンドルは
コロンとしたカワイイ丸いタイプのものだった。
最近の結婚式では
キャンドルサービスはあまり行われないらしいが
2人は定番ものとして入れておきたかったようだ。

その後は友人たちからの祝辞や歌のプレゼントがあり
いよいよ披露宴も終わりが近づいた。
最後はこれまたお決まりの新婦からの手紙である。
それだけは止めてくれと何度も頼んだのだが
やはり定番として押さえておきたかったらしい娘は
ガンとして聞き入れてくれなかった。

元々私はとても涙もろく、しかも泣けば鼻は真っ赤だ。
それまでの段階で私はすでに泣き虫新郎につられ
何度か涙ぐんだため何ともビミョーな顔になっていた。
これ以上の赤鼻は何としても避けなければならない。
そして母は頑張った!母強~し!

私は娘から、娘の歳と同じ数のピンクのバラの花束を
新しい息子からは
ピンクのデジカメをプレゼントしてもらった。

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ちなみに父親は娘からipodを
新しい息子からはボールペンをプレゼントされた。
その後新郎の父が代表して挨拶をするといよいよお開きだ。

最後は映画業界恒例の「八本締め」だ。
再びK監督の指導と音頭で行うことになった。
3、3、7拍子を最初は人差し指1本ずつからスタート。
続いて2本指、3本指、4本指、全て開いて手拍子し
最後はそのまま3回繰り返して締めるのだそうだ。
最初は聞こえないほどの小さな音が徐々に大きくなり
さらに3本で締めるというわけである。
さっそく全員が心を合わせ音を合わせて手を打ち
3時間の披露宴はつつがなく終了となった。

私たちは金屏風の前に並んで立ち
ゲストの皆さん1人1人にお礼の気持ちを伝え
心を込めてお見送りした。

長いような短い1日であった。
けれどK監督の「両家のお母さんたちは本当に綺麗!」
という言葉はたとえお世辞であったとしても嬉しく
疲れも吹っ飛んだ私なのだった・・・単純~。

ちなみに今回の引き出物は
自分たちの納得するものにしたいと
2人が1軒1軒店を回って買い揃えたものだ。
そしてそれらを1つの箱にまとめ自分たちの手で詰めた。

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何と!実はこの箱もサイズを合わせた特注品で
色から材質までを決めわざわざ作ってもらったそうだ。
さらに蓋の部分に型押しした絵は娘の手描きで
中に入れた引き出物たちの絵なのである。

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こうして会場に飾る花の種類から枝ぶりに至るまで
どこまでもこだわり続け
あらゆるところに込めた2人の感謝の気持ちは
ゲストの皆さんに間違いなく伝わったことだろう。
心温まるいい式だったと頑張った2人を褒めてやりたい。

そして披露宴で娘からもらったピンクのバラはと言うと
その後今まで見たこともないほど見事に大きな花を咲かせ
1週間が経とうとする今現在も
とてもいい香りを漂わせている。

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完。

2人の結婚式には仲人がいないため
新郎新婦からそれぞれ一言ずつの挨拶が終わると
司会の女性が2人のプロフィールを紹介してくれた。

続いては4人にお手伝いいただき「鏡開き」だ。

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乾杯の音頭を取って下さったのは
新郎が助監督として参加した映画「劔岳」のK監督だ。
本来はとても話し好きな方なのだが
何とか短め(?)にまとめてくださり無事に乾杯となった。
ちなみに監督は親戚の式にさえ出席せず
過去に結婚式に出たのはたったの1回だけだそうだ。
人生2度目の場に娘たちの式を選んでいただいたことに
私は母として心から感謝した。

その後、主賓の方々からご挨拶をいただくと
今度は1月の結婚式ならではの「餅つき」が始まった。
のちほどこのお餅はお雑煮となり登場する。

その後新婦がお色直しのため退場となった。
付き添うのは彼女の弟、つまり私の息子である。
弟からのお祝いの言葉に娘は涙ぐみながらも
仲のいい姉弟は腕を組み会場をあとにした。

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続いて新郎も同じように
2人の妹さんたちに付き添われ退場したが
お祝いの言葉に声を詰まらせる妹さんたちを前に
新郎は涙々となってしまった。
もともと涙もろい彼だが、すでに目は真っ赤だった。

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空腹のおなかに立て続けに料理を流し込むと
私は花嫁の母として
父親と共に各テーブルに挨拶に回った。
娘の会社の上司の方々や先輩、そして友人の皆さん・・・
いつも娘から話を聞いている方たちばかりなので
初めて会ったような気がせず楽しくご挨拶ができた。

しばらくの歓談タイムの後、会場が暗くなると
続いては2人のプロフィールビデオの上映だ。
これは新郎が得意とする分野だけに
そのこだわりは半端ではなく
モチロン彼自身が1から編集、作り上げたものである。
そしてその上映機器も会場備え付けのものでは納得できず
娘の会社から最新式のものを
わざわざ借りてきたのだと言うからすごい。
そしてそのブルーレイの画像の美しさには
テスト上映の段階で式場のスタッフさんたちからも
感嘆の声がもれたと娘から聞いていた。

2人の生い立ちからこれまでの写真を音楽に乗せ
紹介したそのビデオは話通りの美しい画像であったが
母としては何より娘の成長を懐かしく思い出した。
思えば0歳から保育園生活をスタートさせた娘は
2つの学童クラブに通い、小学校も2つ
中学校も日本人中学からインターへと転校していた。
そしてそのインターから日本の高校に編入し
短大へと進んだのである。
引越しも寮生活を含めれば転々と7回を数える。
その都度慣れない環境の中で娘は頑張って来たのだと
なかなか感慨深いものがあった。

すると最後にこの会場の入り口の映像になった。
2人はすでにお色直しを終え
今まさに入場しようとドアの前に立っている。
え!?ライブ映像なの??
そう思った時ドアが開き2人が登場した。

最終回につづく。

係の人が会場を見に行くと、新郎が担当者を伴い
最後のチェックをしているところだったと言う。
以前にも書いたが新郎はこだわりの人。
自分が納得できなければ始めたくはないのだろう。

その結果10分近くご案内が遅れたが
間もなく全員が会場に入った。
私は金屏風の前で「お出迎え」するものだと思っていたが
それは最初から予定に無かったらしい。

披露宴会場にはBGMとしてミスチルが流れていた。
娘の話では、この会場に流れる音楽は
TSUTAYAから50枚ものCDを借りて
2人で選び抜いた曲ばかりなのだそうだ。

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ちなみにこれが会場のご案内パンフレット。
2人が結婚に至るまでの経緯やコメントなどが紹介され
開くと座席表になっていた。
何でも年末年始に営業している印刷屋さんに頼み
ギリギリで間に合ったという手作りものだそうだ。
さらにテーブルの上の席札も全てが2人の手作りだった。

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上が私、左が旦那、右が息子のものだ。
この席札は箱になっており、中には献立表と
その人に宛てた手書きのメッセージカードが入っていた。
これだけのものを人数分作ればそれは時間もかかるだろう。
お正月も準備に追われていたのも納得できる。

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こちらが献立表。
表紙の絵が2色あり男性は緑、女性には赤が使われていた。
実は私はこの時初めて食事が和食だと知り
さらに2人が選んだテーブルクロスの色が
綺麗なエンジだったことを知った。

ミスチルが1曲歌い終わるといよいよ2人の入場だ。
会場が真っ暗になる。
全員が一斉に入り口を見つめるが
そこから2人が登場する気配はない。
2人はどこから登場するのか・・・。

曲が変わり
庭に面した雪見障子の端の1枚が少しずつ上がった。
そこにスポットライトが当たると
赤い毛氈の敷かれた濡縁を
ゆっくり歩む新郎の足元が窓越しに見えた。
彼の歩みに合わせ2枚目の雪見障子が上がり始める。
その後ろに色内掛に着替えた新婦の足元が見え始めた。

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こうして足元から少しずつ見え始めた2人は
最後に庭側の端のドアからそろって会場に登場した。
何とも洒落た演出である。

娘の選んだ色内掛は黒だ。

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母は思った。
「これが神田うのがデザインしたという着物か」

まだまだつづく。

結局、新郎新婦が揃って親族控室に顔を出した時には
予定時間を大幅にオーバーしていた。

それでもまずは記念撮影。

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娘のこだわりで白無垢の中の掛下をピンクにしている。
これで白無垢と言うかどうかはビミョーだが
それでも色白の娘には良く似合っていた。
元々化粧の薄い娘だが、キチンとメイクしてもらえば
それなりになるものだと母はすっかり感心した。
そして新郎の妹さんたちはと言えば兄の姿に感動し
「お兄ちゃんカッコイイよ~!カッコイイ♪」
と大絶賛だった。

続いて両家の親族紹介が父親たちによって行われると
予定通り2時半には神殿へ移動した。
一般的に結婚式と言えば
式そのものには親族のみが出るのが普通である。
けれどここの式場では神殿での式にもゲストが入れ
親しい皆さんにも見ていてほしいという
希望が叶えられるのである。

式は厳かに取り行われた。
そして2人はたくさんの皆さんに見守られ
正式に夫婦となった。
私は三三九度を注ぐ巫女さんたちを見ながら
自分が巫女さんのバイトをしていた時を
懐かしく思い出した。

神殿をあとにした新郎新婦と両親たち一行は
そのままゾロゾロと玄関を出ると庭へ回った。
ゲストの皆さんはすでに庭へ出て待機してくれている。
いよいよ「花嫁御寮」の始まりだ。
日本庭園の階段を朱傘を差してもらいながら
家族で歩むのである。
先頭は新郎、続いて母に手を引いてもらいながら新婦。
その後ろに両家の父、そして新郎の母の順だ。
娘は友人たちに手を振りたかったらしいが
右手には着物を持ち、左手を母に掴まれているため
自由に動かせず不満だったようだ。

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式場の担当者からは
「とにかくゆっくりゆっくり歩いて下さいね」
と言われたものの、途中まで下りて行くと
待ちくたびれたゲストから
「もっと早く下りて来いよ~」
と声がかかり大爆笑となった。

そして無事中庭に到着するとゲストも全員そろっての
集合写真の撮影になった。
天気によっては寒くて
とても立っていられないところだろうが
幸いこの時間でもたっぷりの日差しに恵まれた。
本当にありがたいことである。

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撮影が済むとそのまま披露宴会場へ移動した。
会場は庭園内に建つ数寄屋造りの一棟で貸し切りだ。
ここでは1日に2組しか披露宴を取り行わないそうで
娘たちはそこがすっかり気に入ってしまったらしい。
他の花嫁とすれ違うこともなく、この建物にいる人たちは
全てが2人のために集まってくれた皆さんなのだ。

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こちらは友人が手作りしてくれたというウェルカムボード。
何とも可愛らしかった。

披露宴開始は4時。
それまでゲストの皆さんには待合室でお待ちいただいたが
いざ予定の4時を過ぎても会場への案内が始まらない。
またしても心配になった私たちは係の人に確認を頼んだ。

まだつづく。

9日の土曜日は朝から快晴だった。
1月の結婚式と来れば心配なのはお天気だったが
日なたでは暖かさも感じられるほどの好天に恵まれた。
まずは感謝である。

そんな中で娘の結婚式は行われた。
全ての出席者の皆さんがドタキャンもなく
元気に集まってくれたことは嬉しいことである。
心配された私の小鼻の出来物、右目のものもらい
直前の左耳の出来物も悪さをすることなく
当日の私はただ1点を除けばパーフェクトだった。
前々日にかけた「まつげパーマ」に気合が入り過ぎ
上がったまつげが上瞼に貼りついたままだったのだ。
つまり子供の描く「パッチリおめめ」そのままに
私は式に臨むことになったのである。

式の開始は2時半。
それでもセットと着付けがあるため
花嫁の母は11時半には式場内の美容室に入った。
一緒に行った母は着付けのみのため時間には余裕があり
息子と共に軽い食事を取るべく本館内の喫茶店へ行った。

着物を着るのは何年ぶりになるだろう。
私はまず美容室に入り
この日のために伸ばした髪を上げてもらった。
大安である当日は美容室もフル稼働で
担当してくれた美容師さんは実に手際良くセットしてくれた。
ボリュームを持たせるため髪に使われた詰め物、大小5個。
さらにセットに使用されたヘアピンは
最終的に各種合わせて39本にものぼった。

とりあえず髪型が完成すると続いては着付けである。
そのまま美容室とつながった着付け室へ案内されると
すでに中は満員御礼だ。
私は入り口から2番目のスペースで留袖を着せてもらった。
担当してくれたのはまだ若い女性だったが
母曰く「着せ方がとても上手」らしい。

彼女も手際が良く次から次へと着付けてくれた。
体型を補正するためにタオルを使うことは想定していたが
何と!彼女は私の胸の上、両方の鎖骨界隈に綿を置き始めた。
平べったい脱脂綿をそれぞれ3枚ずつ重ねボリュームを出す。
私の身体は思うにかなり貧弱らしい。
その上に長襦袢を着て紐を巻き、着物を着て帯を巻き
あっという間に頭がピンだらけの寸胴の巻き物が完成した。
なかなか見事な巻きっぷりである。

とにかくこれで私の支度は完璧~!
花嫁の母の出来上がりである。
さっそく親族の控室に移動してみたものの
挙式1時間から使用できるその部屋は
時間前のためまだ空いていなかった。
私は空腹であったが、それから何か食べに行くには
時間はあまりにも中途半端なためそのまま待つことにした。
悔しいので母と最初の1枚を撮影。

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ちなみに大きい方が私だ。
母はチビの私よりさらに小さい。

その後、時間になったので親族の控室に移動した。
入って右側に新郎側の親族の皆さんが座り
左側には新婦側の親族が座って2人の到着を待った。
けれど予定の時間になっても2人は来ない。
すでにタイムスケジュール表によれば
親族紹介を始める時間が迫っている。
時間は大丈夫なのか・・・。
さすがに私は心配になり始めた。

つづく。

今年最初のイベントである
娘の結婚式もいよいよ明日に迫った。
年が明けてからあっという間だった。

花嫁の母としての準備もバッチリだ。
まずはキチンと役割をこなせるよう
購入したマニュアル本で当日の行動をチェックした。
当たり前だが当日の母はやたら忙しい。
心配なのは履き慣れない草履の靴ヅレ(草履ヅレ?)だ。
長時間になればどうしても鼻緒の部分が痛くなるだろう。
結局バンドエイドは鼻に貼らなくても必需品だ。

続いて式場に持って行く荷物も再確認だ。
普段着慣れない着物を着るため
自分で用意すべき小物を聞いたところでピンと来ない。
それでも母や伯母に借りるなどして何とか準備は完了した。
ちなみに、着付けの際には
寸胴にするためにタオルを使用する。
私の場合は最大の4本用意するようにとのことだ。
タオルを巻かれ、紐を巻かれ、帯を巻かれ
当日の私はすっかり巻き物状態になることだろう。

式場までの服装も考えなければならない。
いくら式では留袖に着替えると言っても
花嫁の母がデニムにダウンコート姿ではマズイ気がする。
さらに着付けの関係で当日は前開きの服で行く必要があり
いざ探してみるとコレがなかなか無く
タンスの中はかぶり物ばかりだったりする。
それでも有るものを着て行くしかない。
コーディネートとしては最悪だが
とりあえず前開きの服たちを重ね着することで良しとした。

残るは私自身である。
幸い小鼻の出来物は面疔ではなく無事に消滅。
心配した右目のものもらいも何とか治まりつつある。
やれやれと安心したのも束の間、今朝から左耳が痛い。
よくよく見れば左耳の上の部分が何やら赤く腫れている。
最悪~。
アップした髪型だから耳は丸見え・・・。

結局私はマスクと眼帯こそ免れたものの
マギー審司のギャグのような
大きな腫れた左耳で花嫁の母をするのである。

おかげさまで小鼻の面疔は鳴りを潜めている。
触ると痛みは残るものの赤味も治まり
どうやら悪さをする気はないとみた。
やれやれである。

問題は右目のものもらいだ。
場所は上瞼の鼻側で何ともビミョーに腫れている。
気にするほど目立たないが見る人が見ればすぐ分かる・・・
という中途半端な腫れである。
現に昨日会った娘も私を見るなりすぐに気付いた。

とりあえず私にできることをしておくことにした。
帰り道「ものもらい用目薬」を購入すると
帰宅して寝るまでの間に3回点したのである。
それでなくても私は毎晩、緑内障の目薬を3本点している。
その合間を縫ってものもらいの目薬を点すわけで
右目はめでたく目薬漬けとなった。

そして今朝、恐る恐る鏡をのぞくと
右目は昨日と特に変わった様子はなかった。
あ~~良かったぁ。

そこには回復もしていないが
悪化もしていない右目があった。
今朝も昨日同様、ビミョーに腫れている。
そして目の周りは重く感じ何となく痛みもある。
私はコンタクトの使用をあきらめ
久しぶりにメガネをかけて出社した。

それでも何とかこの調子で行ってくれれば
明後日の娘の結婚式にはマスクも眼帯も無しで良さそうだ。
娘にとって一生に1度の晴れ舞台であるように
私にとっても最初で最後の「花嫁の母」なのだ。

どうかこのまま治まってくれますように・・・。

いよいよ3日後、今度の土曜日が娘の結婚式だ。
今のところ天気予報は晴れ。
式場では庭で写真撮影などもあるため
雨が降らないに越したことはない。
このまま予報が当たってくれることを願いたい。

準備は順調に進んでいるようで
あとは当日、当人たちはモチロンのこと
家族、親戚一同、来賓の方々が風邪など引かず
元気に集まってくれることを祈るだけである。

ところが新年2日、出かけた息子からメールが入った。
「ご飯食べてたら前歯が欠けた・・・」
え~~!!新年早々かい。
年末、突然の高熱にインフルエンザかと慌てた彼だが
幸いそうではなくホッとした矢先にコレである。
確かに帰宅した彼の左前歯はほとんど無く
そのためかなり間の抜けた顔になっている。
当然正月に診てくれる歯医者はない。
それまではマスクをするか
笑わずに乗り切るしかないだろう。
最悪仮歯が間に合わなければ結婚式は歯ナシとなり
きっとあとあと語り継がれることだろう。

世の中のほとんどが仕事を始める4日。
かかりつけの歯医者はいくら電話をしても繋がらない。
車を飛ばして見に行けば7日までお休みとあった。
焦った息子は地元の歯医者を探し出して駆け込んだ。
幸い仮歯は7日に入ることになった。
まさにセーフである。

ところがすでに新型インフルエンザにも免疫ができ
すっかり油断した私にもそれはやって来た。

昨日の朝のことである。
左の小鼻に何やら赤くポツンと出来物があった。
恐る恐る触ってみる・・・痛い。
ガ~~~ン!まさか「面疔(めんちょう)」?
だとすれば日に日にこの出来物は大きく赤くなり
ちょうど土曜日あたりに
そのピークはやってくるかもしれない。
鼻筋が通り小鼻の小さい人ならともかく私の鼻は団子っ鼻。
そうなればイヤでも出来物は丸見えとなるだろう。
マスクで隠すか・・・バンドエイドを貼るか。
どっちにしても晴れの日にその姿は最悪。
間違いなくあとあと語り継がれることだろう。

追い打ちをかけるように
今朝目覚めると右目に何やら違和感。
痛いような痒いような・・・って「ものもらい」??
今のところ見た目は普通だがこれがものもらいなら
こちらもちょうど土曜日あたりがピークだろう。
鼻を腫らし目を腫らしではとても人前には出られない。
留袖にマスクに眼帯も笑えない。

何で今なの?それも集中的に。
私の日頃の行いがよほど悪いとしか思えない。
土曜日の私を想像するだけで具合が悪くなりそうだ。

いつの間にか新しい年になり、気がつけば今日は2日。
本当に・・・年々月日の経つのが早い。
去年は最低最悪の1年だったが
今年は何としても笑顔の絶えない年にしたい。

年末の大掃除はトマト鍋のリコピンパワーが
思ったより弱かったため、予定の全てをやり終えるまで
残念ながら集中力が続かなかった。
そのため私は新年を迎えた今も大掃除を続けている。
今日も駅伝を見ながらリビング周りを綺麗にし
結局こうして私の正月休みは終わるのである。

友人に協力して注文した「ディズニーおせち」は
予定通り年末に届けられた。

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久しぶりに息子と一緒の夕飯にお目見えしたが
感動した彼はさっそく携帯のカメラで撮影すると
ディズニー好きの彼女に写メしていた。

普段は生活時間帯が合わず
息子とは顔を合わせることもほとんどない中
そろっての食事は貴重な新年のスタートとなった。

1週間後には娘の結婚式も迫っている。
今年はきっといい年になりますように・・・。

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