つぶやきしーちゃん

2013年04月

世間では連休だと騒いでいるが
私なんかあと3ヶ月で会社が無くなれば
イヤでも毎日が連休である。
 
そう思えば例年のようには力が入らない。
いつもならお天気を気にしつつ
この休み中に洗ってしまう家中のカーテン30枚も
何も今、焦ってやる必要はない。
8月からは1日1枚ずつ洗っても1ヶ月で終わる。
 
私自身まだまだ友人の死から立ち直れておらず
ふとした瞬間に彼女を思い出し、彼女の声が聞こえ
そのたびにウルウルしている。
私には休養が必要なのだろう。
とりあえずはゆっくりしよう・・・。
 
連休初日、そう決めて読書を始めた。
しばらくはそれなりに集中した。
ところがお昼を過ぎた頃、コタツが気になった。
あ~やっぱり片付けよう。
早速布団を外して担ぎベランダに出ると
強い日差しの中、コタツ布団を干した。
 
本当は連休2日目にやる予定でいたのだが
貧乏性しーちゃんは、やっぱりジッとしていられない。
結局、リビングに戻るとガスストーブを掃除し
ロフトまで担ぎあげて片付けてしまった。
こうなると掃除機をかけたくなる。
コタツ布団をちゃんと途中で裏返しつつ
家中の大掃除である。
 
2日目、今日こそゆっくりするぞと思いつつ
今度はセーターの大洗濯を始めてしまった。
すべて専用洗剤を使っての手洗いだ。
これが結構な量なので、押し洗いし続けた手首は痛み
指は見事にふやけた。
 
3日目はそのセーターをしまいつつ
タンスの入れ替えを始めてしまった。
急にデブってしまった体型により
不安のある服は試着し~し~仕分けした。
結局、お気に入りの服はそのほとんどが無残にも入らず
姪っ子のところへ行くことになった。
あ~・・・悲しきかな中年体型。
今後はもっぱらユニクロでお世話になるしかない。
 
こうして最初の3日は終わった。
何だかちっとも休んだ気がしない連休前半であった。
 
後半こそはのんびりしたいところだが
実は雑草の伸び切った花壇がずっと私を呼んでいる。
タンスの入れ替えで腰に違和感を感じているので
ギックリ腰には十分気をつけなくてはならないが
何とか連休の間に綺麗にしたいところだ。
それが済めばあとはダラダラグダグダするのだ。
ダラダラグダグダ・・・あ~いい響き♪

目覚めると窓の外が明るかった。
早速カーテンを開けたGミが驚きの声を上げた。
見れば一面の銀世界・・・大雪じゃん。
そりゃあ確かに降るとは聞いていたけれど、雪かい。
 
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とりあえずお風呂に出かけることにした。
昨日から入れ替わり、大浴場「千楽」である。
こちらは小さい露天風呂があちこち点々とあるため
歩いて回らなくてはならない。
 
ところが屋根の無い通路には雪が積もっている。
そこを裸の裸足で歩くのだ。
当然、温まった身体はあっと言う間に冷え
足は冷たすぎてすぐに感覚が無くなる。
慌ててドボンと飛び込めば足はジンジンピリピリする。
露天風呂でしもやけになったら笑えない。
 
そしてまた身体が温まると
次の露天風呂へ雪の通路を歩く・・・。
これを何度も繰り返したので
またしても私はのぼせ、湯あたりもどきになった。
何かちょっと気持ち悪い・・・。
こうなると風流どころではない。
けれど実際、スッポンポンの熟女3人が
キャ~キャ~言いながら
爪先立って露天を走り回る姿は笑える。
そんなわけで大騒ぎして出た時には
またしても約束した朝食の時間になっていた。
 
朝食はバイキングである。
 
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コレは私の朝食だが、この写真だと
朝食自体が貧弱に思われるとの声が多数あったので
バイキングの種類は十二分にあったことを書いておく。
実際、みんなは驚くほど食欲モリモリで
I央は普通に食べた後、さらにパンを4つ
隣に座るS介と仲良く分け合いながら食べていた。
Gミは納豆を2つ食べた。
 
初参加のHコはと言えば、ここまで積もった雪に
自分は雪男かもしれないと素直に認めていた。
けれどこれは間違いなく
Nちゃんの雨女パワーと合体した結果だと思われる。
 
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とにかく天気がこれでは観光も元気が無い。
とりあえずI央の強い希望と
「屋根のあるところ」と言うだけの理由で
宿から近い「竹久夢二記念館」に行くことにした。
 
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館内に入るとまず
ホールでオルゴールの演奏を聴かせてもらい
それから展示を見て回った。
思ったより充実していて、それなりに時間も使え
なかなかナイスなチョイスであった。
 
生徒会のHコに言われた通りのバスに乗ると
渋川の駅にはちょうどお昼に到着した。
あの大雪がウソのようにこちらには全く雪が無く
雨もすっかり上がっていた。
とりあえず電車の時間までゆっくりとお昼を食べよう!
 
ちょうど駅前にファミレスが見えたので
そこへ入ることにした。
珍しくもないが撮影したので載せておく。
 
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お刺身とジャンボ茶碗蒸し~♪
私たちはここで2時間ほど飲んで飲んで食べた。
早くも次は秋に出かけようと話は決まったが
次回のメンバーに入るには
予選会から勝ち抜く必要があるとS介がI央に言った。
何でも推薦枠やシード権を取るのは難しいらしい。
最後の最後まで大爆笑だ。
 
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お店を出ると天気はすっかり回復し晴れていた。
どうやらHコは雪男ではなく晴れ男だったらしい。
 
帰りの電車ではほぼみんなが爆睡した。
やはり身体は正直だ。
雪には降られたものの傘を使うことはなく
振り返ればラッキーな旅行であった。
今回初めて聞いたUさんの告白話を始め
心の底から笑えた2日間は私には貴重なものだった。
やっぱり持つべきものは優しい楽しい仲間たちである♪
 
完。

さっそく浴衣に着替え、お風呂へ向かった。
若干長いが「小」の浴衣で我慢である。
ちなみにUさんは今回もやっぱり
「特大」を着ても前が閉まらなかったらしい。
 
ここの宿はお風呂が自慢だけあって
それぞれに露天を含め10個ほどのお風呂がある。
入替制なので全てのお風呂に入ることが可能だ。
まずは大浴場「千遊」だ。
 
広すぎるお風呂で困ることは1つ。
みんながどこに行ったか分からなくなることである。
なぜなら私とGミはメガネを外せば何も見えず
レーシックNちゃんに見つけてもらうしかない。
幸い、何とか落ち合い一緒に楽しむことができた。
やっぱり露天がいいよねぇ~♪
この季節にみぞれの中での露天風呂・・・風流~♪
イヤなことも悲しいことも忘れられたひとときである。
 
たっぷり時間があったはずなのに
出てみればすでに夕食の時間だ。
私たちは揃って食事処へ移動した。
 
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まずは酔っぱらう前に記念撮影。
係のミチコさんに写してもらった。
 
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今回はすべての料理を写していないが
刺身は新鮮で、鮑は軟らかくとても美味しかった♪
 
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けれどおなかがいっぱいで完食はできなかった。
これまで数々の温泉宿に泊まってきたが
お風呂も良くて食事もいいというところはそう多くない。
ここはそんなどちらも大満足の宿だった。
 
食後、一旦解散し再びお風呂に入ることにした。
ところがビックリ~!
いつのまにか降り始めた雪が積もり始めていた。
露天風呂は湯気が一面靄のようにかかり
どこもかしこも真~っ白。
目の前すらハッキリ見えない状態で
隣のNちゃんの顔を見るのがやっとである。
こんな経験もなかなかできないだろう。
 
すっかり癒され
元気いっぱいになったところで2次会だ♪
 
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ちなみにコレはつまみのつもりのチョコだが
かわいくてとても食べられないとGミが持って帰った。
 
今回は60型のTVで
またしても「運動会」のDVDを観ることになっていた。
すでに、アンカーだったS介&I央が
共にブッ転んだことは知る人ぞ知る有名な話である。
I央に至ってはトップでタスキをもらいながら
1周の間に3回も転び、C組の優勝を逃した。
実はそのリレーで第1走者だったのが
何と!今回初参加のHコだったのである。
つまり彼の頑張りをI央が全てパーにしたわけだ。
そりゃあHコには思うとこが山ほどあるだろう。
 
ところが今回分析した結果
大外からスタートし1番のポジションを取ったHコは
若干フライング気味であったことが判明した。
本人は一か八かの賭けだったと言うが
この部分は何度もリピートされ議論された。
さらにはその際、他の選手との接触が無かったかまで
チェックされ大盛り上がりである。
 
その上、背中から倒れたI央の2度目の転び方が
私の大嫌いな夏の害虫「ブリオ」が
引っくり返った姿にそっくりだとバカウケ!
S介のハタ坊転びと共に笑いは治まることが無かった。
何度見ても楽しい運動会である。
 
さすがに笑い疲れたのでDVDを換えた。
BGMのつもりで持って行った
「僕たちの懐かしのメロディ」である。
ところが結果的にはこれに2時まで見入ってしまい
みんなで話をする時間が無くなってしまった。
反省しーちゃんである。
残念だが、披露する予定だった
「レントゲンポーズ」については
また次の機会に実践してみせることにしよう。
 
さすがに夜更かしは美容に悪いので寝ることにした。
けれど私はまだまだ目が冴えていたので
布団の中で「3Yの怪」について2人に話して聞かせた。
それはそれは呪われた話である・・・きゃあ~!!
 
最終回へつづく。

おなかがいっぱいになったので
すぐの参道から仁王門を通って境内に入った。
 
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目についたのは樹齢700年
市指定天然記念物の「水沢の観音杉」だ。
 
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今思えば花粉症のマスクもつけずに近づくとは
ずい分と無謀なことをしたものである。
 
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こちらはその横の池に泳ぐ鯉。
ここまで白い鯉は見たことが無いので写してみた。
 
まずは揃って本堂にお参りである。
するとGミが扇子おみくじを引いた。
 
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写真だと大きく見えるが、実はミニミニサイズである。
ところがこのおみくじがウケた。
これまで出合った
どのおみくじよりもズバリと書いてある。
これによれば彼女の出会いは
どうやら「表面上の付き合い」で終わるらしい。
おみくじごときにそこまで言われたくない気もする。
 
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気を取り直してこちらは六角堂である。
左に3回まわして供養するといいらしいので
私もやってみたが、ただただ目が回った。
 
そして最後に釈迦堂を見学すると
身も心もすっかりと清められた私たちであった。
ここから宿まではバスの時間が合わず
タクシーを使った。
S介とI央はお互いに何だかんだと言い合いながらも
ここでもまた同じタクシーに乗り込んだ。
どこまでも笑える2人である。
 
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そしてこれが私たちの部屋だ。
かなりモダンな和室でゆったりと広く、TVは60型だ。
窓からの景色もバッチリである。
 
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荷物を置くと、散歩に出かけることにした。
翌日は雨だと言うので、石段街を歩くのである。
 
宿の車で送ってもらったのは
365段ある石段の300段目あたりだ。
まずはそこから残りを上り切り「伊香保神社」へ。
ここは子宝&縁結びの神社だそうだ。
そこからさらに散歩は続き「河鹿橋」まで歩いた。
 
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やっぱりI央はタクシーの運転手に見える。
さながら観光タクシーと言うところか。
写真では隠れているが、桜がまだまだ綺麗だった。
 
ここで折り返すと
せっかくなので下まで行くことにして
今度はひたすら石段を下り始めた。
 
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途中130段目あたりの「なつかし屋」では
HコとGミが射的に挑戦!
7発中4発を的中させたGミは「ウメミンツ」と
「ココアシガレット」で運を使い果たした。
 
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さらに100段目あたりまで下りたところで
時折空からハラハラと白いものが落ち始めた。
え~~~!雪じゃん。
傘を持たずに出てきた軟弱な私たちなので
ここは迷わず宿に引き上げることにした。
残念ながら石段の制覇は次回に繰り越しだ。
 
こういう時、方向感覚のしっかりした男子は頼りになる。
彼らの後に続き、宿までは歩いて戻った。
夕飯は18時、さぁそれまでお風呂だ~♪
 
まだつづく。

土曜日、予定通り温泉ツアーに出かけた。
正直なところ、気持ちは沈み気味だったが
待ち合わせの上野駅で電車を下り
ホームでUさんに会うと笑顔になれた。
大丈夫、これなら何とか頑張れそうだ。
 
さっそく売店で飲み物を購入しホームへ向かった。
幸い「間に合うかビミョー」と
メールが入っていたI央も無事に到着し
同級生仲間7名が集合した。
ちなみに今回温泉ツアーデビューとなったのが
これまで休みが取れず参加できなかったHコだ。
 
天気予報は夕方から雨になると言い
今回も雨女Nちゃんパワーは全開のようである。
その上、強い寒波によって季節は冬に逆戻りし
松井大好きGミは6枚を着込んでの参加となった。
ヒートテック2枚重ねの私の上を行く彼女である。
 
そして10時、定刻に列車は発車した。
モチロン、動き出す前に早くも飲み始め
つまみを広げた私たちである。
せっかくなのでGミが買ってくれたお弁当を載せておく。
 
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はちまきを締めたかにも見えるキティちゃんだ。
 
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見ての通り、おいなりさんもキティちゃんだが
隣に座ったUさんはポイッと一口で食べ切った。
「いたって普通のおいなりさん」との感想である。
Gミは自分用にもパンダのお弁当を買った。
 
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中身は普通のおにぎり弁当なので省略する。
 
それから1時間44分の間、私たちの笑い声が
途切れることなく続いたことは言うまでもない。
特に、乗り遅れなかったことでテンションが上がり
絶好調だったのがI央である。
彼は車内販売のワンカップが気に入りゴキゲン♪
ついにはUさんの仕事を絶賛しまくり
通路に立つと測量のポーズを繰り返した。
まさに車内の注目を集めるヒンシュクぶりである。
 
今回、なぜかスーツで参加した彼は
私たちの引率者のように見える。
そしてもう1人の男子S介はと言えば
ハワイだかどこだかで購入した蛍光カラーの上着を着
どこにいても目印となる旗のようだった。
 
毎度のことながら
車内販売が通るたびにお酒を買い
おつまみは通路を飛び越えてあちこちに移動する。
そうこうしているうちに「渋川」に到着した。
すでにただの酔っ払いのオジサンと化したI央は
車内の人たちにお詫びを言い下車した。
なかなか礼儀正しい酔っ払いである。
 
実はここだけの話、社会人になりたての頃
私は1人でここに来たことがある。
当たり前だが、当時とは駅も大きく変わっていた。
その駅前から直行バスに乗り
私たちはまず「水澤観世音」を目指した。
 
お参りの前には腹ごしらえである。
私たちが入ったのは「元祖 田丸屋」。
数ある「水沢うどん」のお店の中から
前もってNちゃんが調べてくれたお店だ。
 
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こちらはみんなが食べたうどんのセット。
私は天ぷらの無いセットにした。
おなかはつまみでいっぱいだったが
それでもツルっと入るとても美味しいうどんだった♪
 
さぁ、いよいよ「水澤観世音」へ行くよ~!
これだけだと何か・・・食べて飲んでばっかのツアーっぽい。
 
つづく。

人がいかにあっけなくいなくなってしまうか
これまで経験するたび思い知らされて来たが
それでも今回は凹んだ。
このブログにも何度も登場している
私の高校時代の友人、中目黒の彼女が急逝した。
 
ここ何年も毎年2人で旅行し
去年も8月と10月に一緒に出かけたばかりだった。
そして私がプーになる今年は
平日にゆっくり出かけようと話していた。
 
彼女は若い頃、悩み事から酒に逃げ
その結果、肝臓をポロポロにした。
それでも悪いなりにその状態を維持し
ここまでは元気にしていたのである。
けれど、旦那であるHちゃんによれば
年末頃には医者から余命を告げられていたらしい。 
しかもその期限は「春頃」という短いものだった。
そして彼女はエンディングノートに全てを書き遺した。
 
私は3年前、自分の離婚をきっかけに
エンディングノートを準備したと話したことがある。
「へぇ~そんなのがあるんだ」と言っていた彼女だが
それを覚えていたのかもしれない。
ノートには「葬儀は行わず火葬のみにする」
「みんなには全てが終わってから知らせる」
そして「お墓は要らない、散骨してほしい」とあった。
 
彼女は15日に亡くなっていたが
私が知ったのは18日の夜である。
それもHちゃんからではなく、別のルートからだった。
Hちゃんは彼女の意思を尊重し
この私にさえも知らせてくれなかったのである。
それでも翌日だという火葬には
立ち合わせてもらえることになった。
金曜日である。
 
お昼過ぎ、親族に交じり
私は彼女を見送ることができた。
彼女の棺には黄色バラがたくさん入れられた。
これまで30年以上も付き合っていたのに
彼女が黄色いバラを好きだったとは知らなかった。
 
そして彼女は希望通り、火葬のみで旅立った。
余命を告げられた後も、誰にもそのことを言わず
これまでと変わらずに過ごした彼女だった。
けれどその裏ではエンディングノートを準備していた。
私のメールにも体調の悪さをにおわせることもなく
いつもと変わらずに返信をよこした。
ただ、18日の朝私が送ったメールに返信はなかった。
火葬場ではHちゃんと一緒に大泣きした。
 
気丈に振る舞っていた彼だけれど、日が経つにつれ
ガックリと来てしまうのではないかと心配だ。
子供がいなかったから彼は本当に1人ぽっちだ。
彼は別れ際に
突然のこと過ぎて先のことは考えられないと言った。
希望通りにしてあげたくても
散骨は色々と規制があって難しいみたいだから
お墓のこともこれからゆっくり考えてみると。
当分、彼女は自分の部屋にいることになる。
GWには会いに行くからと私は言った。
 
この歳になれば身近な人を亡くすことは多くなる。
けれど、それはまだまだ親の代であってほしい。
同じ歳の親しい友人を亡くすことはあまりに辛すぎる。
 
・・・それでもいつもと変わることなく時は過ぎて行く。
しかもこのタイミングで、私は翌日から
1泊で友人たちと温泉に行くことになっていた。
ド~~~~ンと沈んでしまっただけに
正直、気持ちを切り替える自信が私には無かった。

今さらながらの
「ガリガリ君コーンポタージュ味」である。
 
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もともとアイスを食べる習慣の無い私は
発売時のブームに完全に乗り遅れた。
どこにも無いと分かると
人間、何が何でも食べたいものである。
私も再発売時には必ず食べようと心に決めた。
 
そして先日、コンビニでついに発見した♪
何気なく覗いたケースの中に並んでいたのである。
やったぁ~!!
早速息子の分と2本購入し、食べてみた。
 
コレ・・・笑える~~♪
色はもちろんのこと匂いまでコーンポタージュだ。
ウケる~~♪
しかもそのままの味じゃん、美味し~い!
なるほど、ヒットするわけである・・・納得。
ところどころに感じるコーンの粒がまた
何とも言えずいいじゃん♪
最後のお楽しみのTシャツはハズレたが
大満足の私であった。
 
コレであとは週末の温泉に無事に行って来れれば
今のところ何も思い残すことはない。
若干重みに欠ける私の人生である。

先週あたりから
自分のデスク周りを片付け始めた社長である。
他にやることが無いと言えばそれまでだが
決算処理でやや忙しい私たちの横で
ガサガサゴソゴソとそれはうるさい。
 
最近は1つのことを始めるとそれしか頭になく
今日も朝から清掃用の大きなカートを引きずっては
あちこち移動している。
それも1人で黙々と片付けてくれればいいものを
何かにつけて私たちの邪魔をする。
 
4年前、新型インフルエンザが流行した際
社長は消毒液を買いまくった。
当然、それらは少人数の事務所で使い切れる訳もなく
いつしか使用期限が過ぎたまま放置された。
そして、お昼休みも取らずに
片付け続ける社長がそれを見つけた。
「あ~コレ、誰かいるかなぁ?」
デカいボトルを持ち上げ、社長は
会議室でお弁当を食べる私たちに訊いた。
「それ、とっくに期限切れてますよ。
アルコール分も飛んでるんじゃないですか?」
私は言った。
 
すると、今度はハンドソープ3本を手にやって来た。
「コレ、期限が書いてないんだけどいつまでかなぁ」
見れば見たこともない年代物のハンドソープである。
「書いてないのは相当古いってことじゃないですか?
一応あとで使ってみますよ」
卵焼きを食べながら私は答えた。
 
懲りない社長はさらに言いに来た。
事務所のあちこちに置いてあるフェイクグリーンを
「誰か、いるんだったら持ってっていいんだけど」
・・・いるわけないじゃん。
今週いっぱいで事務所が閉鎖になるわけじゃなし
頼むからお昼休みくらいゆっくりさせて。
 
思いついたら1人で暴走する社長に
溜め息しか出ない私とアナログの彼女である。
は~~~ぁ・・・・・・・・・。

この度始めた保険の見直しが終了した。
結局、3週続けて尾木ママは通って来た。
 
最終的には現状に合っていない医療保険を見直し
それとダブる追加のガン保険を解約することにした。
保険料がかなり安くなるのはモチロンのことだが
何より良かったのは、自分の入っている保険が
どんなものなのかキチンと理解できたことだった。
これで「エンディングノート」にも
さらに詳しい記入ができると言うものである。
その上、葬式代の準備もバッチリで
この先いつ何があっても問題は無い。
 
そして、保険で思い出したのがコレ
アフラックのダックトリオである。
気づいた時には私の手元に勢ぞろいしていた。
もっとも、今回の見直しとは何の関係もない。
 
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せっかくなので紹介しておく。
左のピンクが
♪ネコとアヒルが力を合わせてみんなの幸せを~♪
の「まねきねこダック」。
真ん中は
♪青い鳥~どこかにいないかな~♪
の「青いダック」。
そして右が「まねきたまダック」だ。
歌は1度聞いたがまだ覚えていない。
知る人ぞ知る和歌山電鐡「貴志駅」のたま駅長と
アヒルが力を合わせて大変身したダックらしい。
もちろん身体を押すと、それぞれの歌が流れる。
 
これらは通勤バッグに下げて歩くこともできるが
さすがに満員電車で押されたとたん
♪ネコとアヒルが・・・みんなの幸せを~を~♪
と始まったら恥かしいので止めている。

2日に発売された「濃い抹茶ミルキー」である。
モチロン、期間限定商品だ。
 
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説明によればこのミルキーは
ミルキー史上もっとも濃厚に仕上がったらしい。
以前発売された抹茶味と比べると
抹茶の量は4倍にもなり
しかもこだわりの「宇治抹茶」を使用したという。
いかに前回のものが薄い抹茶味だったか分かるが
これはなかなか期待できそうだ。
 
その昔、新商品が出るたびに購入していた私だが
その後マイヒットが無く、ミルキーブームは去った。
よって今回は久々の購入となる。
今朝コンビニでレジを待つ間
右横の棚から呼ばれてしまったのである。
 
さっそく食べてみた。
確かに言うだけのことはあり、抹茶が濃い。
これまでに発売された色々な味のミルキーは
どうしてもミルキーそのものの味が強く出過ぎていて
「ミルキーの△△風味」っぽい物が多かった。
けれどこの「濃い抹茶ミルキー」は
抹茶が前面に出ていてミルキーそのものは控え目だ。
なかなかいいじゃん♪
人間社会同様、ミルキー社会だって
出しゃばり過ぎは嫌われる。
 
けど・・・やっぱり私の1番のお気に入り
「カフェ・オ・レミルキー」には勝てないな。
残念でした。

社長は相変わらず8時半には出社し
どこへ出かけることもなく1日中事務所にいる。
さすがにここへ来て一段落したと見え
昨日は事務所の片づけを始めた。
 
何でもかんでもコピーを取っておいたツケが回り
シュレッダーする書類の多いこと多いこと・・・。
おまけにシュレッダーは
壊れてもいないのに小型のものに買い替えたため
ゴミがすぐに溜まりピーピーうるさい。
静かな事務所に響くのは
シュレッダーのガガガという音と
開けるまで鳴り続くピーピーという警告音だけだ。
 
そんな社長が
夕方になって突然通知書を持って来た。
「期末賞与を出しますので手続きして下さい」
見れば、先日言うべきことを言った社員3名に
期末賞与として
それぞれまとまった金額が記載されていた。
 
社長によればこれは退職金とは別に支給するもので
その代わり6月の賞与はないと言う。
今年度分として処理するため今の時期になったらしい。
早い話が、私たちが先日さんざん言った
「社長の誠意」なのである。
 
実際、私たちは驚いた。
私にしても言いたいことを言い
確かに気持ちこそスッキリしたが
正直なところ期待はしていなかった。
社長がこれまで
辞めた社員にしてきたことを見れば
聞くだけ聞いて終わりだろうと思っていたのである。
 
けれど、社長は自分の言ったことを忘れず
最後はしっかりとやって見せてくれたのである。
ほんの少~しだけ社長を見直した。
そしてモチロン、社長には感謝だ。
これで税金と保険料を払っても少しだけ残りそうだ。
 
ところが、それを待っていたかのタイミングで
一昨日の朝ついにウォシュレットが壊れた。
すでにノズルが引っ込まなくなっていたものを
騙し騙し使っていたが、もうダメだ。
ノズルが出ても水が全く出なくなったのである。
だが、20年ものだから文句は言えない。
 
結局、せっかくの社長の誠意は
有無を言わせずウォシュレットに化けるのであった。

都内でも風疹が大流行の兆しを見せていると言う。
患者は20代から40代の男性に多いらしく
我が家の息子も該当する年齢である。
 
私には子供がたった2人しかいないが
残念ながら複数になった途端
その記憶は曖昧になる。
やったような気がしないでもないなぁ・・・。

子供たちはどちらも0歳から保育園に通ったが
集団生活の中では感染症に注意が必要だ。
そのため、予防接種は片っ端から受けさせた。
もしかして風疹もしてるかも?
私は早速、息子の母子手帳を引っ張り出した。
 
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最初に出て来たのはドイツでの接種記録だ。
ドイツ語じゃ何が何だか分かりゃしない。
辞書で調べればこれは破傷風である。
 
続いて母子手帳の予防接種欄を見る。
・・・無いじゃん。
当時の予防注射は今と違って単独のものも多いが
残念ながら風疹の記録は無かった。
ん~・・・でもやっぱり
娘か息子か、どちらかが罹った気がする。
いや、2人とも罹った?水ぼうそうか?
何ともいい加減な親である。
ちなみに私自身は高1でしっかりと発症し
成績表に「登校停止4日」と書かれた。
 
するとそこで閃いた。
そうだ~!保育園の時の日誌があるじゃん♪
私は今やゴミ屋敷と化している息子の部屋に入り
全身埃まみれになりながら、やっとのことで
押入れの奥から段ボール箱を引っ張り出した。
 
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これが0歳「つくし組」の時の日誌である。
何とその厚さは10センチにも近い。
毎日表に保育園での様子を先生が書いてくれ
裏には帰宅してからの家での様子を記入する。
食べた物、排泄の有無、睡眠時間、朝の体温などなど
この1冊で1年間の息子の毎日が分かるのである。
 
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そして私は発見した!ほ~らやっぱりね♪
コレがその紛れもない証拠である。
息子は1歳11ヶ月で間違いなく風疹に罹っていた。
あ~良かったぁ♪
 
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ついでにこちらも息子の保育園時代の日誌だ。
これを読めば、彼がここまで
どうやって成長してきたかが一目瞭然である。
当時はとっても綺麗好きないい子だったのに
何でこうなったかなぁ・・・。
 
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せっかくなのである日の様子も載せておく。
かなり笑える姉弟である。

日曜日は叔母の一周忌だった。
去年桜が満開の中、旅立った叔母である。
 
ところが天気予報は爆弾低気圧の影響で
日曜日の朝まで荒れた天気になると言い
無駄な外出は控えるようにと呼びかけていた。
決して「無駄な外出」ではないものの
暴風雨の中ではお参りもできたものではない。
叔父も延期を考えたが、お坊さんの都合もあり
結局、予定通りに行われることになった。
 
と言っても、いつものように
お墓の前でお経をあげてもらうだけのものである。
そう言えば、叔母は納骨の時も土砂降りだった。
叔母自身が雨女なのか
日にちを決めた叔父が雨男なのかは不明だ。
 
幸いなことに雨は明け方には止んでくれた。
ただ強い風だけはしっかり残り、これがのちに
ロン毛のお坊さんの髪を乱しまくることになる。
 
集まった身内は11名。
お墓の前には簡単な台が置かれたが
本来立てておくべき叔母の写真も位牌も
強風のため寝たままである。
ロウソクもなかなか点かず、点いてもすぐ消える。
筒状の風避けは何の役にも立っていなかった。
 
そんな中で一周忌の法要は始まった。
お坊さんは見たとこ30代後半、やや小太り。
言ったように肩までのロン毛を垂らしている。
そして手に経本を持つと
声も高らかにお経を唱え始めた。
その間も風は絶え間なく吹きつけ
台に敷いたクロスが大きくはためくたびに
叔父が何度も押さえなくてはならなかった。
 
当然結んでいないロン毛は乱れる。
お坊さんは髪をなで
何度も耳にかけるが無駄な抵抗である。
もはや下からも吹き上げる風にタコの足となった髪は
完全にボサボサの域を超えていた。
 
その上さらに惨事は襲いかかる。
髪に気を取られているうちに
左手だけで持っていた経本が
風に煽られピロ~ンと広がり、必死にページを戻すも
どこを読んでいるのか分からなくなってしまったらしい。
やたら「あ~」だの「う~」だのと引っ張ると思ったら
その間にページを探しているのである。
実際、そのまま2ページ分を飛ばされたところで
私たちに分かるはずもない。
 
その後、全員が焼香を済ませると
やっとこさロン毛を耳にかけたお坊さんは
神妙な顔と声で終わりを告げた。
「お天気になり何よりでした」
と言ったその顔には
「風さえなければ」としっかり書いてあった。
やはり髪を結んでくるべきだった・・・
と後悔したところであとの祭りである。
 
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3年前に父が亡くなった後、相次いで3人が亡くなり
墓石の片側はすでに名前がいっぱいである。
8ヶ月後、年末には伯父の一周忌が続く。
今度は風がないことを祈るばかりである。

昨日の朝、出がけに見つけたチューリップ。
コーンに気を取られている間にも
順調に生長を続けていたようだ。
 
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しっかり色づき、ほどなく咲くと思われる。
そして、同じチューリップが脇の花壇にも出ていた。
 
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こちらは咲くまでもう少し時間がかかりそうだ。
 
それにしても、去年
掘り出しそびれた球根がいかに多いことかと
我ながらそのアバウトさに呆れる日々である。

私のデスクである。
これでもいつもより散らかっている。
 
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テナントも減った今となっては電話も鳴らず
もはや、やりがいも感じない。
私はもともと貧乏性なので
仕事が無いのが何より辛いのである。
やっぱり仕事は次から次になくっちゃね。
 
今、改めて振り返れば
元旦那の昇進のために辞めざるをえなかった
最初の保険会社での仕事が1番楽しかった。
仕事量は多くて忙しく、残業も多かったが
それでも毎日がとても充実していた。
私が1番輝いていた時代だ。
 
次の仕事探しは、今度こそ人生最後とすべく
焦らず慎重に・・・じっくり考えて決めるつもりだ。
そしてそれが私自身楽しめる仕事だったなら
何も言うことは無いが・・・まぁ、人生そう甘くはない。

社長は結局、父である会長が
1代で築き上げたものを全て失くした。
 
銀座にあったバー&居酒屋3店舗を閉じ
有楽町の飲食店3店舗は従業員ごと譲った。
さらに会社所有の大きな一軒家を売却し
1等地にあった会社所有のビルについては
長~いことタダで住みついた
社長の2人の姉ごと売った。
そして最後が事務所の入ったここ
会社のビルである。
 
2代目と言うのは、得てしてそうだとしても
ここまで見事にスッカラカンも珍しいだろう。
さぞかし会長はお墓の中で呆れていることと思うが
これは紛れもなく自分の息子がしたことである。
ここは息子のことを嘆くより
子育てが出来ていなかった自分を悔やむべきだ。
社長と3人の姉たちが
それぞれにありえなく仲が悪いことを見ても
この4人の子育てに失敗したことは明らかである。
 
そんなわけで、ねえちゃんずが住んでいたビルは
売った後もしばらくその事実を隠していた。
ねえちゃんずに怒鳴り込まれたくないが為である。
だから水道が壊れた時も
「そこは売ったから直す必要はない、出て行け!」
の一言が言えず
80万円をかけて新しいものに取り換えた。
すでに売却したビルで、しかも間もなく
ワンルームマンションに建て直すと承知の上でである。
 
これにはさすがに新しい所有者も
修理は不要と言ったが、社長に聞く耳は無かった。
現在、そのビルは取り壊しの真っ最中。
すでに80万円は跡形もなく消えてしまった。
たった数ヶ月で・・・。
 
これだけでも十分に呆れるところだが
ここへ来て、このビルにも同じことが起こった。
震災後から見られた水道管の破損のようだが
これまでは放置し続けていた。
ところがさすがに漏れがひどくなったらしく
この段に及んで修理することにしたのである。
 
問題はその方法だ。
このビルは来年には取り壊しにかかると思われる。
であれば、必要最低限の修理で済ませるべきだが
さすが社長である。
安いものは見栄えが悪いので
より高価な「何だか管」に交換するのだと言う。
その見積もりは40万円、安いものの倍である。
実際、見栄えを気にしたところで
現場はビルの裏側、しかも普通には見えない場所だ。
そんなところに20万円も無駄に使うなら
その分を私たち社員の補償に充ててもらいたい。
 
これまで壊れていないPC、冷蔵庫、レンジ、TV
シュレッダーなどなどを次々に買い替えて来たが
結局それらはまだまだ使える状態でゴミとなる。
必要もないのに新しくした300万円の会計用PCは
たった3年しか使っておらず、支払いは2年残った。
 
社長に先見の明があれば
状況は間違いなく違っていただろう。
そう考えると何とも悔しい・・・。

私の友人にゴジラ松井の大々ファンがいる。
彼女は毎年必ず彼の応援に休暇を取って渡米し
観光もせず、ただひたすら試合を観戦した。
モチロン部屋には彼の所属した
全てのチームのユニホームを飾っている。
年末に彼が現役引退を発表した時にはこの通り
 
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新聞という新聞を買いまくり
隅から隅まで読んでは大泣きしたらしい。
しかも本来であれば年賀状を書く季節・・・
もはや悲しみに暮れた彼女にそんな気力もなく
用意していた年賀状は1枚も書けなかったのである。
 
彼女には松井の応援を通じて知り合った
応援仲間たちがいる。
中にはその昔、松井がケガをした際
心配のあまり10円ハゲができた人や
寝込んだ人もいるというから
その熱烈ファンぶりは相当なものである。
 
年が明けると早速、そのオバチャン応援団が集まり
ゴジラ松井のお疲れさん会が開かれた。
 
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これはその際に特注で作ってもらったケーキだ。
写真では分かりにくいが
お店の人たちと食べたと言うから相当な大きさである。
 
さらに先日、応援団の1人が北海道へ帰ることになり
送別会が開かれたそうだ。
 
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こちらはその際の特注ケーキ。
こうなると主役はオバチャンなのか
ゴジラなのかは分からない。
それほどゴジラ松井と共にある彼女たちなのである。
 
ということは・・・きゃあ~!!
昨日の彼のおめでたい国民栄誉賞受賞のニュース!
エイプリルフールだからと
最初は疑心暗鬼だった彼女たちだったが
事実だと分かり大興奮~~!!
当然、私からも彼女へ祝福メールを送ったが
今度のケーキもさらに大きなものになるに違いない。
おめでとう~!ゴジラ松井♪
おめでと~♪オバチャン応援団!

先週木曜日、午後から社員3名と社長とで話をした。
7月いっぱいでの会社閉鎖について
私たちの思うところを全て伝えるのである。
 
すでに決定してしまった以上、私たちに言えるのは
社員に対する補償を
キチンとして欲しいということだけだ。
そして、それにあたっては
私たちが定年までも働けなかったこと
この歳での再就職がいかに難しいかということ
また運良く仕事に就けたとしても
今と同じ収入を得られることは絶対にないことを
頭に置いてよぉ~く考えてもらいたい。
 
それには当然のことながら
「失業保険が多く出るのだからそれでいい」
という考えは捨ててもらわなければならない。
その上で最後まで残ったたった3名の社員に対して
しっかりと誠意を表してもらいたい。
と言った・・・ほとんど私が1人で。
管理の男性もアナログの彼女も陰では色々言うが
こうして面と向かうとその勢いはまるっきり無い。
 
とにかく私は自分が納得できるまで発言した。
社長は言った。
「みんなの気持ちはよく分かったので
できるだけのことはさせてもらいます」
「その言葉、忘れないで下さいね。
私は社長を信じていますから」
最後に私は言った。
 
言うだけ言えば気が済み、サッパリの私である。
泣いても笑ってもあと4ヶ月。
どうせ終わるなら、私だって気持ち良く終わりたい。
こうなりゃ最後の最後まで見届けるべく
お給料分はしっかりと働かせてもらうつもりだ。
 
それでもこれだけ頑張ったところで
しょせん私は5年半しか勤めていない。
実際、何も言わなくてもアナログの彼女は私の10倍
管理の男性だって6倍の退職金が出る。
保険料や税金を払えば無くなってしまう私とは違うのだ。
そしてこれが現実・・・あ~あ、元気出ない。

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